◇一衣帯水(秋田・ソウル間で国際便就航)◇
一衣帯水 秋田ソウル間に国際便が飛ぶ。待ちに待った就航である。関係者の誘致活動が実り努力が報いられ喜びもひとしお、感慨深い。秋田は私の故郷である。鹿角市出身の呉徳珠監督の記録映画戦後五〇年史「在日」が上映されることを嬉しく思う。戦前戦後縁あって十八年間私を育んでくれた地である。田沢湖町で生活を営み、秋田工業高校に進学した時は、生保内から三年間、SLで秋田市へ通学した。青春期、春には角館武家屋敷の枝垂桜を愛で、夏は駒ヶ岳乳頭山八幡平の山脈を縦走し、その山懐の名湯に浸った。田沢湖や十和田湖、八郎潟や男鹿半島での水遊びなど、夏の生気が懐かしい。夏の終わりの竿灯祭と大曲の花火、西馬音内の盆踊りには哀愁があった。秋の本荘の新山公園や二ツ井のきみまち坂での写生会での紅葉の鮮やかさが忘れられない。旧正月には沢山の雪の贈り物で作った「かまくら」遊びは童話の世界のようだった。秋田の四季は日本の情緒を見事に演出し彩り豊かな時間の流れがある。私の人格形成にはこの秋田の自然と人々との交流の中で学び育まれたと言える。 父母の故郷は小金剛山と呼ぶ月出山と、四世紀に千文字と論語を携え来日した百済の文化の使者王仁の生誕地韓国全羅南道霊巌である。私は二歳の時、母と共に霊巌で暮らし二年後再び秋田に戻ったことがある。母は霊巌から麗水、釜山、下関、大阪、秋田そして生保内に辿り着くのに一週間以上もかかったと老いた今もその苦程を語る。その時の私の記憶は玄界灘での船酔いと下関の町の風景である。大阪から日本海を北上し一昼夜かかって着いた秋田は目にも眩しい緑深く瑞々しい豊かな田園が広がる美しい自然の宝庫であった。食も豊かで人情も熱いのが霊巌と変わらなかった。一衣帯水、私は今二つの故郷を愛し文化交流を通して友好親善のために往来している。一九九五年国際美術展光州ビエンナーレでは田沢湖町の「わらび座」公演を招待できたことを誇りにしている。光州市立美術館には私のコレクション常設展示室があり美術文化振興と交流発展を願っている。秋田も光州も地方都市の個性豊かな光を発する時代が来たことを心から喜んでいる。 私は今昔の想いで韓日の架け橋となるこの度の就航を心より祝している。 「在日」秋田市上映記念プログラム(2001.9.26)及び東洋経済日報(2001.10.26)
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