◇学ぶことの意義◇

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学ぶことの意義

 米英両軍がイラクを攻撃し、「戦争」が現実のものとなった。一方、北朝鮮の核開発疑惑によって北東アジアの情勢もまた緊張の度を加えている。不透明な世界情勢ではあるが、正義を論じ、条理を説き、憂えてばかりでは能がない。世直しの最善は何か。不透明な時代であればこそ、国際関係づくり、国づくりの基本は、人づくりにあり、若人たちの果敢な「挑戦」と「創造」が新しい時代を生み、動かしていくと私は確信している。学ぶということ、教育するということ、教育力の強化について、自身の境遇と照らし合わせながら改めて考えさせられることがいくつかあった。

 2003年2月25日韓国の新大統領が就任した。その就任を祝う特集を組むという新聞社からの依頼で私は以下のような文章を寄稿した。

 『フレッシュな廬武鉉新大統領の就任に私は親近感を抱いている。貧農の三男坊、高卒からの独学で人権派弁護士。転身して国政での改革派、地域感情の解消を目指す信念の人というだけでも胸が熱くなるのは、在日での個人的な境涯から私は感慨深く思うのである。努力こそが人生を切り開く、在日にも希望がある、持つべきであると改めて確認したように思う。

 W杯での若人達のパワーが廬大統領を新しい世代のリーダーに選んだことは疑いない。韓国が新しい時代に入り、既存の価値観の変革を望んでいることを意味している。私は韓日両国の懸け橋となる在日の立場から文化開放政策の発展、在外同胞政策の見直し、特に国政参政権と日本に於ける地方参政権を行使できるよう願っている。

 朝鮮半島が二一世紀には世界に向かって平和を発信する平和地帯に変わっていかなければならないという廬大統領の信念に共感し、「繁栄と跳躍」そして「南北統一」を何よりも願う。実りのある国民参与(参加)政府の出帆に期待を寄せている。』

 私は家庭(経済)の事情で大学に進学出来なかった。母は84歳の高齢になるが今も時折、「正雄、お前を大学に入れてやれなかったことが申し訳ない。許しておくれ」と涙を浮かべて言う。秋田で過ごした小中学時代、その当時クラス50人の同級生がいたが、高校進学出来た者は10数人ほどしかいない貧しく苦しい時代であった。小学校の門をくぐった事もなく、日雇い労働者として働きながら私は無論のこと、妹弟を高校まで進学させた偉大な父母は、子等に大学教育を受けさせることが夢であったのだ。

 私は大学を断念し社会に出たその時から、社会から学び、生きながら学ぶことが大学であると思った。卒業証書は死ぬ日に貰える物と思っていたから、母の涙は時に負担に感じるものがあった。しかしそう思うことは私の考えが浅く、父母の心を思いやる事が出来なかったからだと今はしみじみ有り難いことだと思っている。

 大学を出ていないから教育者、弁護士、新聞記者になれない時代を私は生きた。大学を出ていないからクラブ入会の資格がないと言われたこともあった。今、殆どの人が大学に入っているのに、どうして君は大学に入れなかったのかと蔑まれたこともあったが、それは時代を知らない人が言うことで、親の苦しい時代を共に生きて生きた者としては何の不満も不足もなかったというのが、私の本音である。

 高卒の安藤忠雄はボクサーから独学で建築の道を選び、97年からは東大教授になった。神戸の兵庫県立美術館、米国のフォートワース現代美術館などの作品があり国際的に活躍し、世界の主な建築賞を総なめにしている建築家である。東大で教鞭を執るようにもなりそのフィールドワークは広まるばかりだ。今の学生の所作や言動には何事にも執着しない苦悩とは、迷いや逡巡という感情が殆ど見受けられない。そして他人の意見に耳を傾ける謙虚さや、対話を必要としない学歴社会の象徴としての東大生を、優秀であるが故に全てを自分の価値観で判断してしまう学生が多いと批判している。

 戦後の近代建築を根付かせた同門の丹下建三は学生時代、自分の道を探求し日本の建築を自分たちが引っ張って行くという気概と覚悟、責任感があった。建築を通して公益(社会、国家、人類)にどう尽くすか、役立つかという使命感と公の精神を持って、戦後の日本の復興に寄与した。

 明晰な頭脳と優れた能力を持っている学生達に生きる貪欲さ、謙虚さ、気概と責任感を持てと安藤忠雄は東大退官の際に述べている。多様性に富み、不透明な世界情勢の中、全てが通じるとは思わないが、同門の丹下建三ら先人がその精神で時代を切り開いていった熱さを今の学生達に求めることに私は異論がない。

 昨年「蛋白質の正体を探る質量解析法を開発した業績」でノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんに憧れる人も多い。大学の教授でもない、会社のいちサラリーマンの地道な研究成果が世界で認められ、努力すれば日が当たるものである、人生は捨てたものではない。権威や地位が大事ではないことの不偏さを教えてくれた事は快挙である。これから学ぶ者にとって人生を勇気づけられ希望があるということを改めて学んだ事は幸いなことである。

 私は1988年より柏シルバー大学院を始めとする多くの場所で、求めに応じて韓国理解の一助になればと、私の在日として生きる姿を通した「韓国と日本2つの祖国」という講義を続けてきた。小中学生時代に憧れた先生になりたかった夢が、このような形で叶えられた。

 人間は何かしら大きな目標や夢を持っている。しかし生きている上で挫折したり横道にそれたりして目標を忘れてしまう。そうした夢を定年後の第2の人生に、専門分野を究め未開拓の研究を通して、社会貢献の道を探ろうとするシニア大学院生が増加しているのは、生涯学習時代を反映している。学ぶ意義が問い直される時代になった事を喜ぶ。

 2003年2月24日、80年代に訪問したことがある、57年の歴史を持つ韓国光州市の朝鮮大学校を訪問した。その日は2002年度卒業式の日であった。街は大学に向かう自動車の波で渋滞し、キャンパスの中は駐車された車で溢れかえっていた。光州のシンボルである無等山の麓にあるキャンパスは自然が生きている学舎としての環境を備えていたが、22000余名もの学生を抱える総合大学(6大学院、14単科大学、25学部、29学科、韓国私立大学中第2位の規模を誇る)となり敷地内に多くの近代校舎が建ち、自然の空が失われていくようで残念に思ったのは感傷的であろうか。

 朝鮮大学は1946年解放間もない翌年に光州市民達の募金で、国家と人類社会の発展に寄与する、指導者を育成する為に設立された民族大学である。名も無き貧しい農民は農作物を届け、労働者は無償で労働力を提供した。庶民等の尊き数は7万2千余名であるという。その建学の精神と光州市民の誇りは今も高く、人を育てる事が国を創る人類貢献なのだという精神が脈々としていた。建学の初心の輝きは今も失われていないと、卒業式の雰囲気から感じることが出来た。

 同日、昨年教科書問題に抗議して日本の国会議事堂前でハンガーストライキをした金泳鎮韓国国会議員の名誉博士学位の授与式があるというので出席した。金議員とは3年前東京で光州のキムチ祭開催計画をした折にお会いし講演を聞いたことがあり、この度の盧武鉉政権の農林水産部長官となった農林水産の政策マンである。

 その授与式にてハンナラ党黄ウヨ議員が述べた祝辞に私は大学の意義を教えられ、励まされた。「世のため、人のために尽くし社会で活躍している大学とは無縁の人材を大学は権威を外して登用し、生かして学ぶべきである。学問だけの人材作りではなく、どの様に生きて、生きようとしているのか社会の中にいる人材に我々は注目しその存在と価値を認めることが今、大学に求められている。」と説かれた。

 幕末、長州藩(山口)萩で自宅に松下村塾を開いた吉田松陰(1830〜1859)は子弟を教育し、その門下からは多くの俊秀を出した「立志」の人である。人間一人一人にはそれぞれに備わった一つや二つの高い能力があり、その一人一人の才能を引き出し、個性を生かした自由な教育をして時代の人材を育てようという塾であった。保身と太極を見ない幕末の世相の中、志を立てるためには人と異なることを恐れてはいけないと国際関係に目を開き国事への志を深めていった。松蔭は志のある民衆の心こそが時代を動かす。眠らせたままではいけない、いたずらに時を過ごしてはならないと講孟剳記を記し教えた。

 その愛弟子の久坂玄瑞(1840〜1864)は師の志を継いで果敢に「挑戦」した。長州藩の尊王攘夷派の中心人物となって幕末の京都、江戸で国事に奔走し若くして散っていった。

 久坂玄瑞と共に松蔭に学んだ高杉晋作(1839〜1867)は萩藩で農民や労働者を集めて奇兵隊を組織した「創造」の人であった。江戸に出て尊皇攘夷運動に奔走し幕府との講和の使として交渉、そして外国からの武器購入、薩摩藩との提携に尽力した。しかし彼も20代の若さで病死した。その2年後に日本は明治維新を迎え近代の夜明けを迎えることとなる。これらの若き獅子たちを駆り立てた時代の変革、改革の熱情は松蔭の「立志」が如何に先見性に富んだ精神であったか。人を創る源である「志」を深く噛みしめてみる価値が今、問われているようだ。

 そして若人達の果敢なる「挑戦」と「創造」が新しい時代を生み、動かしていくのだいうと教えを我々は温故知新、学び直す時ではないかと思う。

 幕末、大阪に蘭学塾「適々斉塾」(適塾)を開いた医学者、蘭学者であった緒方洪庵(1810〜1863)の今日的意義を哲学者河端春雄(芝浦工業大学名誉教授)が発言している。適塾から近代日本の原動力としての大村益次郎、橋本左内、佐野常民、そして福沢諭吉等々、を生み出している。

 適塾に諸国から俊秀が集まったのは人物を認め、尊重したが故でもある。洪庵の人格の力でもあるが、なんといっても洪庵の学問見識が影響力を持っていた。

 「大学は未知なるものに対する乾きに燃え現存する全ての事物に対する不満に悩む青年学徒に愛を持って撫し、鞭打つと共に、学問によってその渇きを癒さねばならない。大学教育に携わる者は如何に時代が変わっても教育者であると同時に教師であり研究者であること、大学及び大学人に求められる精神である」と河端春雄は説いている。

 正義を問い条理を説くのは容易い。米国がイラクとの戦争を開戦するか、しないかで「戦争」が、一方北朝鮮の核開発による「核」問題が世界中の不安の共通認識になっている。また日本人拉致問題で日朝間が膠着状態となり混沌とした政局を呈している。

 国際政治や外交の事には疎いが憂えてばかりでは能がない。世直しの最善は何か。国づくり、人づくり、国際関係づくりは教育の原点に帰り先賢に学ぶ事だと私は確信している。

大学・大学院は学府の頂点ではあるが、社会から超絶した存在ではない。生涯学習の時代にあっては、一つの課程と位置づけられる存在でもある。学ぶ側はもちろん、教え育む側も社会によって鍛えられるべきだと思う。かつて「象牙の塔」とも言われた大学だが、権威の垣根を低くして内外の人材を糾合し、学び合う場になって欲しいと願う。

アプロ21(2003・4月号)

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