「はじめに」集2005年版

2005年の「はじめに」を掲載致します。

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2005年度


 「国破れて山河あり」
65年の歳月を在日で送った。
戦前戦後と韓日の山河を見つめ愛して生きた。
今年は光復60周年、そして韓日国交正常化40周年の
記念すべき韓日友情年を迎えた。
皇太子ご夫妻が訪韓される予定であること。
そして人間国宝中村雁治郎の歌舞伎(光州でも開かれる)と
宝塚レビューの韓国公演が開かれる。
それに呼応して韓国からも文化芸術使節が日本を訪れる。
文化芸術の交流が韓日の相互理解を一層深め
境界を越えることであろうと思うと心楽しい。

両国の美しい山河と故郷の人々が近く親しく理解しあう
友好交流の実りある年でありますよう期待し祈ります。

2005年1月11日




最高裁による1月27日の「国籍による管理職選考を、都が受験拒否したことを合憲」とした判決について、我が目と耳を疑った。高裁で「勝訴」という形で開かれた門の中には、これからの日本は在日外国人にも住み易くなる、日本は人権の先進国になるぞ、という一筋の希望、展望があった。しかし一度開きかけた門は再び閉じられ、今現在、日本には法の下での真の平等はないのだということを白日の下に晒してしまった。真摯に日本で国際貢献しようとしている、在日の若者の夢と希望をこのような形で大きく後退させたことは、世界の中で日本の国益を大きく損失したことになるのではないだろうか?このような残念な「現在」を打ち破る「新たな流れ」が生まれてくることに期待したい。

2005年1月28日


サッカーW杯最終予選で日本が北朝鮮に僅差で勝ちをおさめた。
ここのところ日本と北朝鮮との関係は拉致問題で暗いトンネルの中にいるような気分であったが、W杯のおかげで鬱陶しい空が晴れたような気持ちになった。
また北朝鮮選手団の中に在日の若人2人が選ばれ出場したことは二重の救いである。
日本社会はもとより祖国(韓国・朝鮮)にも在日の存在を大きくアピールした。
在日がこんなに認められ注目を受けたのは戦後初めてのことだと言っても過言ではないし、
サッカーにかけた彼らの清々しく感動的なプレーは多くの人達にも輝いて見えたと思う。
日本に自然に熔け込み、祖国との友好の架け橋とならんスポーツマンシップはかえがたいメッセージといえる。
周りの人々は、「互角であった。素晴らしいゲームをした北朝鮮にも勝たせてやりたかった。」と惜しみない情を表した。この情こそ自然で美しく国の垣根を越えるものだ。。
予選に競り勝って日本と韓国と朝鮮が共に06年W杯のドイツ大会に出場出来るよう祈っている。

2005年2月10日



6月に入り各地から蛍祭りやあじさい祭りの便りが届くようになりました。
蛍の思い出といえば小学生の時、父が飯場(秋田県田沢湖町)で働いていた所に会いに行き、その夜は父の宿舎で泊まったことがありました。そこは蛍の群生地でした。
昔の人は蛍の光で本を読んだとよく言いましたが、その言葉に嘘はありませんでした。
闇の中の蛍の光は明るく、群舞する様は幻想的で夢の中の世界のようでした。その夜景は半世紀近く経った今も、まぶたに焼き付いております。
毎年、この季節になると30年前に亡くなった父の面影は、父と共に見た蛍の光で甦り、とても懐かしく、愛しく見える昨今です。

2005年6月6日



9月に入っても残暑厳しい日々が続いております。
虫の声から初秋のたたずまいを感じる昨今です。
今まで万博や、人が集まる催しには興味も、足を向ける機会のなかった私が、娘が日程、交通、宿舎の手配をしてくれたので4泊5日の見学の旅に出ることとなりました。
娘の配慮のおかげで、見学の全てが目を白黒させる楽しいものになりました。
展示されているロボット等の先端科学技術、そして相反する自然に対し人間がどう向き合うかという展示物は確実に時代と世の中が移り変わっていく転機を予感させる万博であると思いました。
しかしロボット時代に入る科学技術の進歩と競争には、新たな時代の流れと共に飽くなき探求と人間の貪欲さを感じ、先々の希望と不安を同時に感じ複雑になりました。
昔の時代が懐かしく感じられるのは、あながち歳のせいだけでは片付けられないと思いました。暑さと疲れのため熱中症にかかってしまったトラブルもありましたが、閉幕前にぜひもう一度行きたいと思う刺激的な万博でした。

2005年9月5日




1989年より隔年毎に開催されている「山形国際ドキュメンタリー映画祭は今年で9回目(会期10月7日〜13日)を迎える。
2001年には「日本心中」(大浦信行監督)が招待作品として上映され、この映画に出演し、招待されたことがある私には縁深い映画祭である。
この映画祭は世界中から愛された作品や貴重な映像を集め、人と映画の交流の場を創造する試みであり、ドキュメンタリー映画の多様な可能性を観客と共有しつつ作り手を励ますことを目指している。
今年は「日本に生きるということ−境界からの視線」のセクションの1つに「在日」(呉徳珠監督・1995年製作)が特別招待作品として上映される。
この作品は「歴史編」「人物編」の2部作で構成され、人物編において私が「二つの祖国」という内容で30分間紹介される。
上映会場は山形市中央公民会館6Fとフォーラム5である。4時間という長編であるが、在日という存在を理解する教材として大変、良い映画である。この機会に御覧いただければ幸いである

2005年9月27日



我が家の庭の柿が色づき始めた。
昨年は実りが少なかったのだが、今年は枝がしなるほどに実って甘みも良い。しかし接ぎ木のせいか渋柿に当たる時もある。
しかし、その渋柿も、干し柿にすることにより一級の甘さとなる。
秋田に住んでいた頃(19歳まで)、薪ストーブに当たりながら食べた、熟れた柿の冷たさと甘さは今でも忘れられない味である。
柿は味覚により呼び覚まされた記憶で、懐かしき故郷に心近づけてくれる大好きな秋の食材である。
皆様にも、そのような季節の食材はおありだろうか?

2005年10月13日



10月は、7日にコリア文庫(仙台)、11日に柏シルバー大学院(柏市)、20日には埼玉県立与野高校(さいたま市)にて講演を行った。
演題は「韓国と日本・二つの祖国を生きる」。
日韓の歴史認識や情緒の違いなど相互理解と友好交流を願う在日の想いを語った。
特に与野高校での講演は2学年、320名を対象とした人権教育を主旨としたものであり、聴講者の年齢、そして予備知識も少ないであろうということを鑑みて神経を使った。
70分の(実際には10分伸びた)講演は、特に楽しい内容ではないし、この講演を聞く生徒達には苦痛であったろうと思う。
実際、途中には一部、話に飽きてダラけ気味な生徒もいた。だが話が佳境に入った辺りでは何とか立ち直ってくれ、全体的には最後まで私語一つ無く食い入るように聴講してくれたので感銘を受け、話にも熱が入った。
後日、FAXで送られてきた感想の一文に「続きの話や、文化的なことなどを知りたい」と書いてくれた生徒がいて大変、嬉しくなった。
10月は複数の講演の中、短い時間ながら高校生から93歳の方まで幅広く韓日・在日の過去と現在、私の願い、祈りを真剣に語らせていただいた。それぞれに十分な手ごたえを感じることが出来たし、新しい希望と展望を抱かせてもらい励まされた。
これからも共に学んでいきたいと願う昨今である。

2005年10月23日




第2回横浜トリエンナーレ2005が山下公園先の山下埠頭(メイン会場3号、4号上屋)で開催されている。(会期9月28日〜12月18日)
日常からの跳躍「アートサーカス」をテーマに、ヨコハマ発の現代美術の祭典が世界30カ国、86人のアーティストの参加により、多彩な展示とプロジェクトを展開している。
連動して開かれているヨコハマ美術館での余白の美術「李禹煥展」に私は心が動かされ、表現の可能性を印象付けられた。
3年前の第1回展はみなとみらい地区で開かれ、街が持つ華やかさが感じられ、会場となっていた赤レンガ倉庫の歴史的な風情が色を添えていた。
しかし今回の展示は前回に比べ全体的に少し見劣りした印象を得た。その理由の一つは会場の設定(倉庫)によるものがあったと思われるが、実際にはもっと根本的な問題を孕んでの事であるようだ。
「サンパウロにも、ヴェニスも、光州も、釜山もさようなら。バイバイ!」
と「アート界崩壊」「美術死」を予言するタイのキュレーターマン(ヘレンとナウィンのユニット名)は作品中の「アイディア切れ‥‥誰か!助けて!」のコミカルな悲鳴が印象的で、トリエンナーレはヨコハマの墓地に咲くと揶揄したのは世界のビエンナーレ、トリエンナーレの現実であり、現在の芸術の迷走を象徴しているのかとも思った。ピューぴるの"愛の生まれ変わり"の千羽鶴の立体作品に象徴的なものを感じ美術文化の再生を祈った。

2005年11月11日

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