「はじめに」集2004年版

2004年の「はじめに」を掲載致します。

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2004年度


 私のホームページを開設すると息子(当HP管理人)が言ったのは2002年のことであった。
その間、ホームページと言うものが何であるか私にはとんと理解していなかったので何の反応も示さなかった。ところが2003年秋になって再び息子が「アボジ(父)の生きてきた道程や歩んだ道筋、その足跡を世の人達のために、特に青少年のために示し、その中から生きる力、希望や夢を持ってもらう機会を作りたい」と言った。
「アボジは僕の指示通り資料だけ出せば僕の全責任を持ってやるから」と言われ、無条件従うことになった。
思えば、65年の生をさらけるのは気恥ずかしさも戸惑いもあるが、息子に世のため人のために一生懸命生きた父を知らせたいと言う成長した息子の励ましに全てをかけることになった。
65年間、韓国と日本2つの祖国を愛して生きてきた河正雄(ハ・ジョンウン)の人生哲学が世のため人のためになるものであるならば、私の存在に意味があったといえるだろう。

2004年2月11日



 私が自分のホームページを見たのは5月の半ば、韓国麗水市のホテルである。
303番目と表示が出た。ホームページを5月に開設して半月の間に見て下さる人々が案外いるもんだなぁと、思いがけない展開に不思議をも感じた。
そして、どんな人々がどんな想いで見て、読んで下さっているのかなぁと目に見えない読者に感慨深い想いを抱いた。
 管理者の息子は、読者からの反応に力を得て張り切っているようであるが先の展開と展望が見えないもどかしさを感じる昨今の心境である。
これからも時折の健康なる心身の発露をお届け出来ればと思っている。

5月末、清里で詠んだ短歌

「粉雪と 見紛うほどに 散り急ぐ
   山ざくら花に 逝きし人思ふ」

2004年6月15日




 芸術の秋、文化の秋を迎えますます御清栄のこととお慶び申し上げます。平素の御後援と御厚情を感謝申し上げます。私の故郷、韓国光州市で開かれます、この秋に相応しい展覧会をご覧下さいますよう御案内致します。
光州で皆様とお会い出来ますよう祈念しております。

2004年9月3日



聖天院で9月5日に第5回在日韓民族無縁の霊を慰霊する大施餓鬼会行われました。僧侶の読経の後、ヴァイオリニストの丁讃宇氏が慰霊のために「カゴパ・帰りたい」の演奏をして下さいました。慰霊式に参集した300名近い善男善女は厳粛且つ荘厳な音色に静まりました。演奏が終わるや大きな拍手が起こり、しばらく鳴りやみませんでした。人々の素直な感情は、今も今も耳に響き、目に焼き付いて心に残ります。

9月22日に行われました母校、秋田工業高校創立100周年を記念して寄贈した「明日の太陽」像の除幕式でのことです。「生徒1人1人が輝く太陽(才能)を持っている。自分の太陽を信じて勉学に励み、世界に輝く人材になってほしい。」というメッセージを、1000名近い全校生徒に講演し、伝達することが出来ました。故郷の秋田からは私が発したメッセージの反響が今も届いており感激しております。

2004年10月23日



新潟県中越地震における2歳男児の4日ぶりの救出劇がありました。父親の「頑張ったね。」という問い掛けに「うん。」と頷いたの事でした。このことに関して、私にまで韓国から無事であるのかという電話が数回ありました。その度に韓国と日本の距離が近くなり、災難に遭っている人達に寄せる気持ちが生まれているのだと、つくづく感じました。台風、水害そしてこの地震と天災に見舞われた日本列島。災害地の人々の安寧を祈らずにはいられません。

2004年10月28日



 師走に入った。一年を回顧する月である。
今年は韓流の年であった。
来年は戦後60年、日韓国交回復40年の節目の年、日韓友情年である。
まだまだ韓流は続く。
在日の韓国朝鮮人の存在と意義がようやく認められる流れに入ったといえる。
よく言われる橋渡しや懸橋の役割を越えるマインドを持たねば
日韓の狭間の中で影が薄れる存在となるだろう。
「海峡を渡るヴァイオリン」のTVドラマ、「血と骨」の
映画などなど韓流の中で在日の生きざまが紹介され
日韓の人々に日常的な親近感を抱かせ在日の存在が見えてきたことを
私は喜んでいる。
来年は朝鮮文化を日本に紹介し、日韓友好に貢献した
「白磁の人・浅川巧」の映画化の製作委員会が設立されることだろう。
日韓共同制作の作品が両国で公開されれば日韓友情年の
記念すべき事業となることだろう。

2004年12月1日



 今年最後の韓国帰りのこと。
仁川から成田行きのKAL(大韓航空)機で同席した若者達(20〜30代の男性)に
好感をもった。
立川にある老人ホームの介護士達で、2泊3日の休暇を取って韓国旅行を楽しんできたという。
「冬のソナタ」ロケ地、春川は日本人のおばさんばっかりでびっくりしたが、自然の風景が綺麗で治安もよく、韓国の人々の親切が新鮮であった。その反面、現在の日本が荒んでいて、元気が無いのだと感じたと言った。
そしてソウルのナンタ(乱打)劇場でのパフォーマンスは考えもつかず面白かった。
4人の料理師がナベ、フライパン、皿などの厨房器具をもっての演技はダイナミックで最後まで飽きさせずリズミカルでエキサイティングであったと語ってくれた。
いまや日本の若者の感性は韓国の新しい文化の受け手である事を肌に感じ無性に嬉しかった。彼らはまた韓国に遊びに行きたいといったので「来年は日韓友情年、韓国の地方も面白いよ。2年後に開かれる2006年第6回光州ビエンナーレをぜひ見て下さいね」と言って別れた。

2004年12月15日

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