◆韓国と日本、二つの祖国を生きる◆
出版後記
光州MBCTVドキュメンタリープロ「時代と人物」撮影隊と
韓国と日本、二つの祖国を生きる 「望郷、二つの祖国」(1993年 成甲書房)という本を出して10年近くが経った。その間書き綴ったエッセイをまとめて「韓国と日本、二つの祖国を生きる」(2002年 明石書店)を出版した。 「望郷、二つの祖国」というタイトルに出版当時には異論を唱えられた。その時、日本人は祖国という言葉そのものを忘れ、余り使わなくなってしまっていたし、在日の人達は祖国に対する想いや郷愁が今でも強くあるのだなと羨ましい感情を見せた。 「河さんは日本で生まれ、学び、育ち、生活の全てが日本にあるのだから日本が故郷、祖国ではないか」または「河さんは国籍が韓国だから、祖父母の故郷が祖国ではないか」と様々に言われた。これは日本、韓国双方からよく言われていることであったが、両国の人達はそれを受け入れ理解する認識にはならなかった。10年前は二つの祖国と言うことはタブーであったと言える。 しかし私にとっては、どちらも正解であり、どちらも愛すべき故郷、祖国であるという想いで生きてきた。様々な事があったが日韓共同開催のワールドカップ以降、日韓友好が増進され、時代の流れが人の意識をも変えたようだ。「韓国と日本、二つの祖国を生きる」を出版した時には誰も、そんな異論をいう人はいなくなっていた。逆に、良いタイミング、良い時代の流れに乗った上手いネーミングであると誉める人まで現れ内容も時節に合っていると認められるようになった。 私は在日の生き様をテーマに故郷を想い、父母を敬い、韓国と日本という二つの祖国に対する熱い想いをこめて執筆した。美術を軸に在日、韓国、日本の相互理解になるように、韓日を往来する中で肌で感じた違和感を綴り、その中では不幸な祖国の近現代史と在日韓国人の生の痛みについても記述した。 日韓双方に言えることだが、正しい歴史的認識を持ち、真の相互理解を粘り強く進め、共に「近くて近い国」になってほしいという願い。在日同胞として韓日の懸け橋になろうという気負いはないが、在日の生き様を韓国と日本に一番理解してほしいという願いをこめて執筆した。 残念に思うのは、この類の内容の本は一般受けしない傾向にあることだ。しかし私のような熱い想いを共感する心ある読者もいることを、そして増えつつあるということに感謝し、その流れを喜んでいる。 2004.2.21 |