◇松島で◇

リンクアイコン日記「二つの祖国・二つの故郷 ホームへ

2004年6月6日生保内中学校の同期会で松島に行った。円通寺の庭を観てから、瑞巌寺の山道を同期生達と歩いていると、後ろから大学生と思われる3人連れが腹を抱えて笑いながら歩いてきた。
 「何がそんなにおかしいのか」と問うたところ、私の同期生達の会話がおかしいとのことであった。
そこで私はその大学生達に「この言葉はどこの国の言葉か解るか」とからかい半分で質問すると「解らない」と答えた。「その言葉は日本語で秋田の方言なんだよ。」と教えてあげると驚いたように「へえ、日本語なのか」と初めて解ったような真面目顔で返事をしてきたものだから逆に私がおかしくなって笑ってしまった。
 その前夜、気仙沼の三陸海岸のホテルでの宴会は、同期生達の秋田弁丸出しのものであったが、酒の酔いもあって、私は秋田の方言の流れに身を委ねていたため気にも留まらなかった。しかし朝方、同室の同期生達の会話で目を覚ましたのだが、二日酔いのせいか、耳を澄ましてその会話を聞き取ろうとしても、会話の意味を良く理解できなかった。
地元産で根っからの生保内人である同期生達のヅウヅウ弁は、今では地元でも珍しい生粋の秋田の方言の使い回しであり、もはや天然記念物とも言えるほどのものである。
 私は秋田の田沢湖町で18年間を過ごしたけれど、未だに秋田の言葉は難しく感じる事がある。
最近、私のコレクション、木彫連作版画「花岡ものがたり展」を光州市立美術館で開催(会期2004年5月11日〜8月25日)した。
その「花岡ものがたり」57点の版画には55編の物語詩の原文が難解な秋田の方言で綴られている。
その原文を日本語の標準語に訳し、更にそれを元としてハングルに訳す。それから秋田の方言のニュアンスを光州の方言に合うようにしなければならないという難度の高い作業となった。
秋田と光州が私に縁があったからこそ、何とかまとめられたのではないかと二つの故郷に感謝している。しかしヅウヅウ弁の心地良さと、標準語にはない表現力豊かな言い回しは、ユニークでユーモラスな人間の温もりを感じる愛すべき言葉であり、その方言には秋田人、東北人、いや日本人の魂の源流があるように思う。秋田の方言は熟成された高い文化が育んだ言語であると、これらの作業を通して私は感じた。
 私は同期生達のヅウヅウ弁を聞いていると心地良い、幸せな気持ちになる事がある。それは同じ郷里に生き、心通わせた、私の身心の血肉になっている言葉であるからだろう。そして同期生との出会いは私に故郷を同じくする者の喜びを深くしてくれるものである。
 過去には蔑み、見下げられた地方の方言。ユネスコに民族学言語部分の遺産登録の制度があるならば私は第一に秋田の方言を認定し保存される、誇るべき言葉であると推薦したい。それは故郷を誇り愛する心に他ならない。