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田沢湖畔に姫観音が建立されたのは私が生まれた一九三九(昭和一四)年十一月のことである。その姫観音像に刻まれている碑文の主旨は玉川の毒水が田沢湖に入り込んだ為、死滅した魚と湖神・辰子姫の霊を慰めるというものである。田沢湖町観光課は一九八一(昭和五十六)年に荒れ果て放置された姫観音像の周りを整地し掲示板を掲げた。それまで町史や観光案内等の資料にも建立由来の記録は何一つ見あたらず紹介されていない秘められた観音様であった。公式に田沢湖観光の名所として紹介されたのである。その年から町の観光課長ら有志により、姫観音供養祭が執行されるようになった。その動機は投身自殺者があまりに多いのでその慰霊と訪れる観光客の安全を祈祷するためという理由に私は疑念を抱いた。碑文と掲示板の字句から考察すると、姫観音建立の主旨と意味を取り違えていることと供養祭そのものが当て付けように感ぜられたからだ。姫観音が建立された歴史的背景と姫観音像に刻まれた文と掲示板の美文に私は納得することが出来なかったのだ。 戦時下、一九三八年から四〇年にかけて田沢湖をダム湖とした国策によって行われた田沢湖、生保内両発電所建設、それに係わる隧道掘削工事は、玉川と先達から二つの導水路、そして田沢湖畔田子の木から生保内発電所への導水路が三本掘られ二年間の突貫工事で進められた。寒冷と過酷な労働、食糧不足と発破や落盤事故などで多数の犠牲者があった。その中には強制労働に従事していた朝鮮人も含まれていたのだ。 田沢寺に眠る朝鮮人無縁仏、姫観音の建立趣旨書が発見(1991.6.21)されたことにより姫観音は当時の工事犠牲者を慰霊するために建立されたことが裏付けられ史実が明らかになった。一九九八年には先達発電所工事に関わる強制連行者三〇七名の名簿(1946年厚生省「朝鮮人労働者に関する調査」秋田県覚書)が公開された。その文書により先達で働いていた人が私の父母の故郷霊岩に生存していることが判り証言を得た。そして夏瀬ダム強制連行生存者が横須賀市に住んでいることが判り、生きた証言が得られたことは不幸中の幸いであった。その結果姫観音像に関わる私の疑問はおおかた解け、虚言でないことの証明が出来た。私は一九九〇年より今日まで田沢湖町民らと共に姫観音の慰霊祭を行ってきた。その霊を慰める心に国の違いなどはないと私は思う。 河正雄著「韓国と日本・二つの祖国を生きる」明石書房(2002.3.25) |