◇NPO法人「共に生きる国際交流と福祉の家」での講演A◇

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 最近、「韓流」だとか言って非常に皆さんが韓国のことに興味を持たれていらっしゃいますね。一昨日からは、日本の映画を韓国でも上映する週間が始まりましたね。韓国では「日流」だとか言ってますね。

「韓流」があって「日流」がある。とても今はいい状況ですね。映画っていうのは、その国の文化を知らしめるというか理解させるのに、一番いい媒体ですからね。そういう意味で、「韓流」の流れも皆さんにいい影響を与えていると思います。

また「日流」もとてもいい影響を韓国に及ぼすんじゃないかと思います。ですが、この流れはまだ1年か2年の話ですから。じゃあその前までは何だったかというと、ワールドカップで日韓が同時に交流して、スポーツを通して、そのフェアプレイの精神を通しながらお互いに応援しあうという、絆っていうんでしょうか、そういうものが芽生えたのがワールドカップだったと思うんですね。

これはとてもいいきっかけだったんです。最初は、日本が企画したものでそれを韓国が日本側に突っ込んで来て、途中で共催にしたというんで、ずいぶん韓国に悪口を言った人もいましたけど、結果は大成功でしたね。じゃあその前は何だったかっていうと、キムチじゃないでしょうか。

同じ食の中でも、キムチというのは世界の食材・・・。「キムチ」って言ったら世界が知る言葉です。私は学生時代に弁当を持っていったんですけれども、学校へ行ったらキムチのにおいがするんです。「くさいくさい」とよく言われたもんです。ニンニクはその頃そんなに皆さん食べなかったし、ニンニクを食べる朝鮮人はやはり異端視されたというか、やっぱり差別がありましたけど、今はもう健康食として世界で認められている食品ですね。

 じゃあその前は何だったかというと、皆さんのような会とか、または私みたいな人間とかが、韓国と往来しながら、交流しながら、お互い理解をしよう、理解させよう、橋渡しをしよう、道を架けよう・・・、こういう思いの人たちが地道に地道に絆を作ってきた、交流してきた。今日の会もそうだと思います。

そういう方たちのおかげで、今日の流れ、「韓流」があって「日流」があって・・・良い感じになってきた。本当にそれまでにかかった時間はですね、解放後・終戦後もう60年ですよ。来年で60年になりますが、ようやくこういう流れになったということを、この現実を頭の中にきちんと入れておいてもらうということは、大事なことじゃないかと思います。突然「韓流」が起きたわけではない。

突然「日流」が起きたわけじゃないということを、僕は強調しておきたいと思います。ここにいらっしゃる八木ケ谷先生とか、また諸先輩方、皆さんの本当に血の滲む・・・、私なんかまだ子どもですよ・・・先生方と比べたら・・・、そういう私たちの大先輩が礎を作ったということを、私は忘れたくない、忘れちゃいけないものだと思っております。そういう意味で大変私は尊敬申し上げているし、皆さん方の集いについて非常に敬意をはらっております。

 前置きが少し長くなりましたので本題に入っていきます。先程「アンニョン」と挨拶しましたね。これは「安寧」という意味です。よく天皇陛下が国民の皆さんにご挨拶なさる時に、「国民の皆さんの安寧を祈ります」という言葉を使いますね。社会が穏やかで平和でありますように、そういう意味です。

私は子どもの時に教わったんです。この「アンニョン」について。朝鮮の人はいつも虐げられて、戦争で、植民地で、そして明日食べるものがなくて、朝起きたら「ゆうべ飯食べたか」と、「ゆうべよく眠れたか」「平和であったか」と、こういうふうに挨拶したものです。

だから韓国の人、朝鮮の人の「アンニョン」という言葉の意味は非常に思いやり深いということですね。我が国の「アンニョンハシムニカ」「皆さん平和でありましたでしょうか」「穏やかでありましたでしょうか」「お腹は空いておりませんか」という挨拶する事を私は非常に誇り高く思っております。

 私は「河正雄(ハ・ジョンウン)」といいますが、朝鮮の人の苗字は約200ぐらいあると思われるんですけれども、「河」という文字は少ないです。だいたい70番目か80番目くらいでしょうか。「金さん」という方と、「李さん」・・・皆さんは「リさん」と言いますけど、韓国では「イさん」と発音します。

それと「朴」さんですね。だいたい「金」「李」「朴」で6割〜7割を占めると思います。あと残りは少数の苗字です。「河」という苗字は非常に少ないので、皆さんなじみがないと思います。先程、在日の知り合いの「ハさん」のご話をされた方がいましたが嬉しくなりました。

韓国でもだいたい3万軒くらいだと思います。だから在日でも、そんなに数が多い苗字じゃございません。皆さんの家にも系図があると思いますけれども、韓国人の「チョッポ」ですね、系図の事ですが「族譜」と言いますけど、私は河家の33代目です。

いつからの33代目かというと、先祖27代目で枝分かれした後の、33代目です。河家というのは2千年ぐらいの歴史があるんです。このチョッポには、27代目から分かれた後の33代目の私まで・・・きちんと14巻の族譜が残っています。

韓国ではチョッポを非常に大事にするし、これをまた誇りにするというか、これを1つの拠り所としながら生きるというか、韓国の人を理解する時に、これを理解していただきたいと思います。韓国の人は結婚しても、女性は旦那さんの名前になりません。私は「河」ですが、私の家内は「尹・ユン」といいます。「河さん」にはなりません。

Bに続く

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