◇松本日韓親善協会講演◇

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松本日韓親善協会講演

 アンニョンハシムニカ(安寧でいらっしゃいましたでしょうか)。本日は松本日韓親善協会定時総会で私の話を聞いて下さる機会を得ましたことを大変嬉しく思います。今朝、長野の善光寺さんにお参りして松本に参りました。善光寺さんの御本尊は百済の聖明王から賜った一光三尊阿弥陀如来様であります。長野に参りますと昔から我が国とは御縁が深く結ばれているようで心休まるものがあります。松本は水清く、山青く、空高く、清々しく解放されるような自然にいつも感激します。今日、皆様に出会えましたことを一光三尊様の御加護のおかげと思い感激しております。

 私はこの春に在日の生き様と存在を知っていただきたく「韓国と日本二つの祖国を生きる」という本を出版しました。本日はこの本の内容に沿ったテーマでお話しいたします。私は1939年東大阪市で生まれました。1939年は第2次世界大戦が勃発した年です。朝鮮人は強制的に創氏改名を強いられ、強制連行がこの年から法的に成されたのです。

 私は日韓の不幸な歴史の諸問題を考え平和と戦争について拘り続けて生きて参りました。皆様の家庭にも家系があるのと同じように朝鮮民族にも族譜があります。先祖代々、大事にしている族譜を日本名に変える政策は植民地政策の内でも自尊心を卑しめる最も悪い政策でした。私も日本名に改名し一時期、河本正雄として生きた時代があったからです。(私の20歳までの流転の生涯についての話は紙面の関係上、省略)

 今年の日韓共催W杯の成功は日韓の友好親善が進展し、特に若い世代の内で理解が深まり、こんなに嬉しいことはありません。最初は日本の主催に韓国が割り込んできたということでギクシャクしたようでしたが結果は素晴らしいものでした。日本も韓国も決勝リーグに残り韓国も準決勝進出4位の好成績を残し、韓国の国を挙げての熱い応援は世界のサッカーファンを驚かせたようです。日本は世界の多くの国とは異なり純粋にサッカー競技としてよりもビジネスとしてのお祭りという考えが重視され、サッカーは個人の趣味と割り切られているように思いました。しかしサッカーを知らなかった多くの人達が競技内容を語るようになり、ワールドカップを目指すという夢を持った沢山の子供達が育ったことが何よりも一番の成果だと思います。スポーツの時間、空間を大切にし、日常的にスポーツに関わる事を誇りにしている姿に接して「世界と同じスポーツの楽しみ方」を考える契機になったようで、お祭り騒ぎで終わらせてはいけないことだと思います。

 韓国人を理解するのには、基本的な情緒を知ることが必要です。それは意味深い国旗に表れています。太極旗とも言いますが無限の宇宙に於ける万物の動きの均衛と調和を表し、東洋の思想と哲学、それに神秘性を象徴しております。中心の赤い部分は陽、青い部分は陰と相対する陰陽の二象で国民を表しているのです。

 国花は無窮花(ムグンファ)と言います。日本でいう木槿の花です。繁殖力が強いことで国家の発展と子孫の繁栄を表し民族の魂を象徴しております。植民地時代、国旗が使えなかった為、無窮花を以て抵抗と独立の意志を表しました。

 韓国は儒教の教えが唯一残っている国です。家族、老幼、男女、交友関係、家門や親族、上司、目上の人に対する尊敬、国に対する忠誠、父母に対する孝行など、社会生活にまざまざと表れています。韓国人の生活規範は「孝」です。親や師、先祖に対する孝行は、そのまま、社会国家に対する「忠」の心になる考えなのです。儒教は倫理と道徳を重視しており、人生哲学、人間関係、行動の規範、更に統治の方法も教理になっているようです。昔の良き日本を知る韓国人は、日本人は国旗と国歌に対する愛着、尊敬の念が薄い、敬老思想の衰退、そして日本語の乱れを残念に思っています。今まで韓国理解の妨げになったのは韓国は軍事政権の野蛮な武の国という誤解があったからです。不幸にして北との関係から1961年から軍事政権下となりましたが、それは一時期のこと、今は民主の国です。歴史的に韓国は文官優位の社会、つまり「文」を尊ぶ国であることを強調しておきます。

 「韓国人は喜怒哀楽の感情表現を体と声が一体となって表現し、抑制したり、飾ったりすることを好まないのです。心や腹の中に感情や思いを溜めておくことが苦手であるということよりも、思い切り体外に吐き出すことによって生気を蘇生させ、感情を浄化させる、その効用を文化として定着させているのです。日本も中国も「情」をもって人間関係をスムーズにさせ「情」の一字が対話を弾ませ心が通じ合う共通の文化である民族です。飾らない韓国人の素顔を知ればその深さを感じると思います。」
※内文中一部、金両基先生の説を引用致しました。

 過ぎた20世紀を回顧すると戦争と破壊、対立と分裂、紛争の時代であったといえます。昨年は新しい歴史教科書を作る会が現行の教科書を「自虐的」だと批判し、それに対して、内容が歪曲されていると国内外から批判が起きました。その問題点は韓国併合、南京大虐殺、太平洋戦争、強制連行、戦後補償など近、現代史の記述でありました。私は両国で食い違う、これらの歴史認識の問題をイデオロギーの違いを超えて、日本国民達の成熟した良識と見識によって否定されたことに安堵したものです。政府民間が一体となって研究し、お互いに理解できる線でこの問題をクリアしてほしいと思います。21世紀には20世紀の過ちを反省し真の善隣友好の世紀になることを祈っております。

 「温故知新」日韓には友好交流史の先達達がおり、私達はこの先達から学ぶことは大事なことであると思います。「王仁博士」は285年(古事記による)、応神天皇の招聘で千文字と論語を携え渡日し、広めた学問は日本文化の祖と崇められ尊敬されました。王仁博士の生誕地は私の父母の故郷、全羅南道霊巌で私の誇る先賢であります。

 また豊臣秀吉の朝鮮の役で、加藤清正の家来であった沙也可(本名不詳)は秀吉に対する批判から大義のない戦争だと言って戦わずして戦列を離脱、朝鮮側について李舜臣将軍と共に朝鮮を勝利に導いたのです。知性、判断力、行動力があった先見のある人であり、そのヒューマニズムは日本人の誇り、これからの日本人の鑑といえる人であると思います。これから認められるべき歴史上の人物であります。

 徳川家康は豊臣秀吉の過ちを直し「日本朝鮮和平の事、古来の道なり、通交は互いと両国の道なり。」と朝鮮通信使を復活させました。その慧眼は江戸時代が長く繁栄した要因の一つであります。朝鮮通信使との交流の中で対馬藩の儒者、雨森芳洲は「誠心交隣」を外交の方針として言葉の文化、習慣や歴史などから相手の心を知り、互いに欺かず、争わず、真実をもって交わり、江戸時代の国際人の鑑でありました。

 この度、私の故郷、秋田県田沢湖町のわらび座で「文」を以て「武」に酬いた朝鮮通信使を題材にしミュージカル「チェビ・つばめ」公演が始まりました。来春は国内の巡回公演がありますので是非、松本でも公演の機会を作って下さる事を祈念します。

 浅川巧は山梨県高根町の出身で戦前、朝鮮に渡り朝鮮の山を緑化するため樹木の研究、育成に務める合間に柳宗悦と共に朝鮮の手工芸の価値を発掘し、朝鮮民族美術館を設立した人です。植民地下の朝鮮に生きて、朝鮮文化と朝鮮人を愛し、朝鮮人からも愛された希有な人物です。私は巧のような人物に憧れ、尊敬し、私も日本人と韓国人から愛される「人間の価値」を備えたいと思い在日を生きて参りました。人間の価値は国や民族ではなく、その人間だけの力によって露堂々と生き抜く事だと学んだからです。このように先賢から学ぶことが実に多いことを悟る必要があります。

 在日は日韓の狭間の中で翻弄され流浪、流転の人生を余儀なくされた歴史がありました。私は現在、在日にこそ日韓友好交流の懸け橋となる力量を備えた人材がいることを訴え、過去の差別や無視をなくして共生の力となるよう若い人達の日本社会での登用をお願いしたいのです。

 国際交流、日韓友好親善についてですが、お互いに好奇心を持って相手の文化を認め、理解する心が大事であります。過去の不幸な時代のみに捕らわれて、未来の明るい明日に向かう努力を怠らないことです。私達は全人類に戦争のない平和な時代を開くために貢献していくことが大事であると強調します。ご静聴ありがとうございました。
(2002年8月28日)

松本日韓親善協会会報No.6(2003.7.1)

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