◇若い力で日韓に明るい未来を◇
埼玉県立与野高校での講演に対する記事掲載
「韓国と日本〜二つの祖国を生きる」をテーマに韓国・光州市立美術館名誉館長、河正雄(ハ・ジョンウン)さん(65)=川口市=がこのほど、埼玉県さいたま市中央区の県立与野高校で講演し、三百人余りの高校生に「ギクシャクする大人の世界を消し去り、みなさんの若い力で友好親善を」と語りかけた。 河さんは1939年大阪生まれ。両親が韓国・霊岩出身の在日韓国人二世。当時、父親はダム建設の労働者。終戦まで秋田、霊岩、大阪を転々とした。 家庭は貧しかった。中学生の時から豚を飼ったり、日雇いの工事現場で働いた。末っ子を背負い、両手に弟を連れて学校に通ったことも。「誰一人いじめる人はいなかった。周囲の温かさが今でも忘れられない」。 河さんにとって「生まれ育った日本も、両親が生まれた自分のルーツ韓国も、ともに二つの祖国。過去の事実を知らなければ再び同じ過ちを犯す」と言う。だからこそ日本に強制連行された朝鮮人の記録や朝鮮の山と民芸を愛し植民地時代に敬愛された日本人浅川巧ら、埋もれた歴史的事実の掘り起こしや友好親善に尽力した人々の顕彰に取り組んでいる。 在日作家の美術品収集もライフワーク。はじめは「何の価値もない。ごみだ」と誹謗中傷されたが、今では光州市立美術館に寄贈され「在日の歴史を記録した芸術品」と高い評価を受けている。「美しく感動的なものに国境はない」と強調する。 その美術館に、長崎で被爆を受けながらも生き残った柿の木を植えた。「戦争、核兵器の恐ろしさ、愚かさを世界に伝えたかった」から。ところが一部の市民が「(戦争で韓国に被害を与えた)日本の木を植えることは許せない」と反対され、何度も柿の木をの苗を引き抜かれた。 しかし河さんは日韓の未来に希望を持っている。「日本と韓国・朝鮮には悠久の友好親善の歴史が脈々と流れている。今は一日一万二千人の日本人が韓国に訪れる時代。過去の感情のわだかまりを捨てて心を開き合おう」と話し、「まず身近にいる在日の人たちと友だちになってほしい」と呼びかけた。 2005年10月25日(火) 埼玉新聞 掲載 |