◇NPO法人「共に生きる国際交流と福祉の家」での講演◇

講演参加者との会話編

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司会 どうもありがとうございました。5分だけ休憩をして、後半の質疑、ぜひ聞きたいということがありましたら、出していただきたいと思います。

(休憩)

司会 そしたらもう自由に話していただくということで、どなたからでもお願いいたします。

 興味があることを聞いて下さい。

参加者 
 素晴らしいお話ありがとうございました。在日韓国人の方々の特性とか、それから可能性というようなことについてうかがいたいんですけれども、日本人の場合も海外に行って・・・アメリカや南米中心で、約2百万人くらいと言われておりますけれども、私は常々日本人がこれからの可能性といいますか、世界の中で活躍する・・・、自分たち自身が国際的に出て行って、むしろ日系人化するということが、全ての日本人にとってある意味で、大事な要素なんじゃないかなと思ってるんですけど。海外に出て大きな視点を持って、自分の文化についても客観的に見ながら、海外の文化にも理解をして、そういう人たちがいろいろな可能性を秘めていると思うんですね。韓国にとっても、在日韓国人や、日本だけに限らず在外の韓国人は多いと思いますが、そういう中で、特に本土の韓国人の方と比べた場合に、在日の韓国人の方が持っていらっしゃる特性とか、それからこれからどのような可能性があるのか、そのような点でお話いただけたらと思いました。


 在日も勉強してないんですよ。母国の言葉がわからない人も多いし、歴史も知らない人多いんです。本当に残念なことですけれども、アイデンティティーの持ち方も弱い。日本の社会にも溶け込んでない、韓国にも溶け込めない・・・。今、流れから言うと、日本の人が非常に韓国に対して興味持つようになった。はまっている方が多い。今、韓国人は海外に6百万くらい出てるんです。日本人は2百万ぐらいですよね。韓国人の方が積極的に海外に出て行って、海外に根を拡げている。バイタリティ、強いですよ。その点日本人は内輪の社会。やっぱり島国の閉鎖された社会構造では弱い。在日は学ばなくてもいいところを学んで、同化してしまっている。だから弱さがあると思うんです。在日もこれではだめなんです。今までの考え方を変え日本の社会の中で同化して生きていく考え方。もう矮小な国意識や民族意識だけでは在日もだめですね。在日もそういう視野に立って出発する。私に残された力はそんなにないけど、在日を生きていきたい、最後まで次の代にまで啓蒙できるような・・・。そして日本人にも・・・1週間後には高校でも教育、授業を持ちますけれども、学生たちに・・・高校生・大学生が多いんですけれども、だいたいこういうレベルの話しても通じます。今子どもたちの方が、非常に飲み込みが早いんですよ。情報をキャッチしているからです。なぜ朝鮮人はいじめられたんですかって、聞くんですよ。私たち少しも知りませんでした、韓国とは仲が良いとばかり思っていましたとか、言うんですよ。教えてあげるでしょ、こういう事実があったと。すぐに覚醒されるんですね。在日は日本の社会の中で、差別を受けたというとかそういう中で弱くなっちゃった。僕なんか学生時代から、高校卒業と同時に社会の荒波に出る時に、覚悟して出ましたから。在日のそういう覚悟は、これからもいると思います。そういう啓蒙の仕方をしていく。在日の社会も変わってきてます。本国、国自体が非常に豊かになってきてるからです。北の問題でギクシャクし在日自体が、少し自虐的なところもあるんですね。拉致被害者とご家族の人たちに申し訳ないなというのがあるんです。自分たちの民族がなんてことをする。残念に思ってます。いずれにしても、日本と韓国・朝鮮がもっと仲良くして、友好が増進されれば、在日のわれわれも非常に居心地がいいわけですから。自分たちの先祖の国と、自分たちが生きている日本の国が、交流して温かい雰囲気になれば、われわれも温かくならざるを得ないわけですから。まあ難しい北の問題はありますけれども、在日の人たちの可能性というのはあるので。未来を信じてもらいたいなとは思います。日本の教育を受けてる人が多い。民族教育受けている人は何人もいませんよ。北の教育を朝鮮学校で受けてる人は、ずいぶん減っちゃいました。韓国学校にも、そんなにいません。そういう状況の中で、日本の社会で生きていく。一緒にやる・・・連帯が非常に問われていると思います。在日の問題は決して在日の問題ではなく、日本の問題であり韓国の問題であるということ。こういうふうに言いたいですね。

参加者
 私は文化事業をしてるんですけど、そういった文化事業をしてる立場から見ると、在日韓国人系の方の活躍ってめざましいと思うんですね。50万人、60万人の全体の中で、これだけ多様でしかも優秀な才能がある人があふれているということは、やはりその方々のバックグラウンドとか、それから自分のルーツを求める動機だとか、それに加えてその芸術的な感性とか、そういうものが混ざって、最近2〜30年爆発的に出てるんじゃないかなと、私は思うんですね。20何年前に李良枝さんていう女流の作家が芥川賞とって、それから注目してますけれども、最近は柳美里さんという素晴らしい作品作っている人もいますし、作家だけでなくて、映画とか音楽とか・・・。もちろん前の世代も、俳優さん、歌手の方、数え限りないんですけど、やっぱりなんか今の一般的な日本の人たちが持ってる表現意欲よりも、もっとさらに激しいというか、もっと強いインパクトを持ってるんじゃないかなと思うんですね。それはやっぱり在日性というか、ルーツとか、それから親やその先祖の時代を振り返ってみたときに、何か表現したい、何か知りたい、そういうものがとても大きい。日本人はもちろん作家とか表現する人いますけれども、何を表現したらいいかわからないというところが、あると思うんですね。だからそういうのと比較すると特に、在日の方々の文化的な創造的なインパクトというか、そういうのは強いと思いますので、今河さんがおっしゃったような、むしろ在日の人たちが今視野が狭くて・・・という状態にあるということとはまた違った印象を持っていたんですね。


 今までそういう潜在的なものを持っているわけでしょ。良さも悪さもわかってる。狭間で生きるという感性を持ってるんですよ。そういうものの良さを出してきているところがあると思うんです。これからは在日の良さを、日本社会で発揮する。在日は日本だけで発揮するんでなくて、今韓国へ行ってものすごく発揮してますよ。本国だけで活躍するかというとそうじゃありませんよ。中国へ行っても大変な活躍をしてますよ。中国だけじゃありませんよ。アメリカへも行ってます。在日だけじゃなく韓国のパワーってのはすごいですよ。視野が在日も韓国も今そういう方向へ向いてます。若者達は成功は未知数であるけれども、高校卒業したらアメリカに行こうと夢見ていますよ。ものになっていくか、なっていかないか先のことだけども、もう視野が外に向かってますよ。私は日本の若者たちと飛行機の中でよく一緒になるんですよ。飛行機代が韓国を経由してくると安いっていうので、韓国経由で帰ってくる学生たちだとか若者がたくさんいるんですよ。結構若い人たちは世界に眼が向いてます。このあいだイラクで亡くなった若者も、親はオーストラリアへ留学していると思ったのにイラクに行っちゃって亡くなったわけでしょ。そういう若者がたくさんいますよ。ポルトガルの、ヨーロッパのはずれのはずれの岬に行ったら、小柄な男が来たんですよね。頭を坊主にしていたが、女の人だった。私は日本人だと思わなかったけど、話をしたら日本人でした。日本から自転車で、シルクロードを通ってここまで来た。ポルトガルの外れ、イギリスが見えるところまで来た日本の女の子に、非常に感銘を受けましたよ。「気をつけて行きなさい」って言って別れましたが無事であったろうかと今でも気になりますが。どこへ行っても日本人だらけだから、絶対日本人のいないところへ行こうっていうわけで・・・。韓国人も、世界のどこへ行ってもいるんですよ。だからもう韓国人のいないところへ行こうっていうことで、アメリカのもう奥の奥の誰も行かないようなところに行ったんですよ。日本人も韓国人もいました。それも見事なものですよ。こんな大きなリュックを背負ってアメリカ国中を旅している。世界のすみずみまで、若い人たちが進出しているという現実を見た時に、みんな手の届くところで、我々は今生きてるんじゃないかなとつくづく思いますね。若い人たちの感性で行動力は素晴らしいと思います。昔の旧世代の人、特に戦前の人、それから戦後、歴史教育を受けなかった人たち、それから世界を知らなかった人たち、この人たちが問題ですね。韓国でも残っているんですよ。韓国の人にこういう人もいるんですよ。成田空港から電話かかってきたんですよ。私の家へ訪ねてくるのかと思って電話を受けたら、成田空港へ来てくれって言うんですよ。なんだお前日本に来たんだから、家へ来ればいいじゃないかと言ったら、日本は降りたくない、日本には入りたくないって言うんですよ。すごいですよ、今でもそういう人いるんですから。それからまた在日でもそうですよ。北系と韓国系と2つに分かれて今までやってきたでしょ。冷戦のあおりでやってきたでしょ。総連と民団の事ですよ。統一されるまでは祖国へは死んでも行かないっていう人がいるんですよ。

参加者
 僕はそういう気持ちすごくわかりますね。


 わかります、でもそれではもうだめなんですね。お墓がある故郷に行きなさいって私はいつも言うんですよ。先祖が待っているから行きなさいと私は言うんです。それで行った、そして喜んでくれた人、たくさんいますよ。何で自分たちは祖国へ自由に往来しなかったのか不思議だというんですから、辛い話ですね。

参加者
 例えばその恨(ハン)ていう、さっきのお話ですけど、直接その「恨み」っていう感情じゃないと思うんですけど、さっきのその成田で降りないって言った人、ただそれも恨だと思いますけどね。


 恨というのは感情ですからね。それも情緒で理解のうちの1つに入れておいてください。

参加者
 ただ僕はその日本人の立場から考えて、日本の過去百年間やったことのひどさ、侵略戦争から植民地を作って、名前まで変えさせ、言葉を奪い、あらゆる差別、人を殺すっていうことも凄まじい殺し方をしてきて、そのことについてきちんと責任をまだ取ってないですね、日本は。その問題ともう1つは、今の日本の社会の動きっていうのは、そういうものをまた逆に、反省するんじゃなくてそれを肯定して、戦前と同じような方に日本の社会を持っていこうとしている今の政治勢力ですね。東京で言えば石原都知事ですね。その人が先頭になって行政を握って、自分のそういう勝手な方向に、権力を好き勝手に使っている。危険な形に日本は来ている。僕はその交流ということは、河さんのおっしゃってる交流というのは、気持ちとしてはすごくわかるんですけど、その交流に持っていくまでの日本人としての責任ですかね、そういうものがまだ解決されてないし、そういうものはますます責任を取っていって、今の社会の動きに対してたたかっていくというか、それを止めていく、そういうものを日本人が行動として、生き方として表していかないと、河さんの言われたその「交流」まで持っていく、その前提として、それは非常に僕は大事なものだなというふうに思ってるんですけどね。


 そうですね。教科書問題の時に、採用の数字を挙げた時、0・03って言ったでしょ。あの時に日本の皆さんが行動を起こしてやったのは、すごいことです。それで今日本は右傾化している。石原さんのなさってることに対してでも、今大変ですよ、まわりが。これからも決して日本の国民はそれをOKなんていって、採用が1%だったり5%だったりということはあり得ないと思いますよ。それはどうしてかというと、我々の周りこうして「韓流」だとか「日流」の流れになった。文化の交流をしながら、少しずつ教育を受けながら、お互いに学びながらわかってきたから・・・。今まではわかってなかったわけですからね。歴史教育なんてほとんどしてないでしょ。私なんか小学校から高校卒業まで、12年間日本の学校で勉強したが、1秒たりとも一言たりとも先生の口から、朝鮮だとか韓国だとかっていう言葉の歴史を習ったことありませんよ。そんなんで私たちの同級生たちなんかは、私のことを見ると「恐い」って言うんですからね。何にも知らないから「恐い」って言うんですよ。僕は何にも同級生たちに恐いことしたこと覚えもないしね。別にその人たちを咎めたこともないしね。だけどそういう感情を抱くのは何も習ってないからですよ。韓国について学ばないから何も知らない。だけど僕は朝鮮人だから、教えてくれなくても自分の民族のことだしね、自分の国のことだからっていうので、自分は勉強したんですよ。日本人もそういうふうにして学べばいいと思いますよ。やっぱり勉強しなきゃだめですよ。必死になってやらなきゃ。

参加者
 僕は過去のその日本のやったこと、学校では習ってなかったです。大学に入りましたけど、大学の受験勉強でもそこまでは勉強してなかったですね。だから本当に35〜6になって、70年代になって初めて、過去の日本の歴史っていうのを・・・。知らなかったことが非常にやっぱり恐ろしかったことだし、恥ずかしいことだし、今後生きていく上に、そういうことをそのままにして生きられないと思って、それから一生懸命勉強し・・・。それからいろんな運動ありますね、日本の中に。戦争反対の運動とか、差別反対の運動、そういうことにも関わりながらですけれども。それから過去の日本と韓国の、河さんが言われたその過去からずっと現在のことまでも振り返って、必死になって勉強して、まだ今その最中ですね。


 私もまだ学ぶことがずいぶんあります。温故知新で、先見の人たちから学ぶ教訓というのはすごくありがたいですね。だからそういうこともたくさん教える必要もあると思うしね。日本が右傾化してるという問題もあるけれども、韓国も今は非常に難しい。戦争協力した人たちを処罰しようとして、そういう動きもあるし。教科書問題もあるんですね、韓国にも。日本は日韓の歴史について教えないというか、伏せてしまったというか、教育しないっていうか、そういう事実はなかったということで、教科書で子どもたちに自虐的だと教えないわけだけど、韓国の場合、教科書問題は、そういう問題じゃないです。日本の戦争、日本に協力をした人たち、要するに「親日派」と称する人たちを調査する、日韓の歴史を採掘する問題も今起きてきてる。視点、観点が違うが日本もあるし、韓国もあるということぐらいの認識を、決して日本だけの問題でもない。歴史の認識という問題については、やはり韓国は韓国の視点があるし、日本は日本の視点がある。どちらが正しいか良いかは国民が選択するだろうし、いくら小泉さんが言ったからって、右傾化した人たちが言ったって、日本国民は全部そうなのかと言ったらそうじゃないですから。扶桑の教科書だって、あれだけやっても0・03%・・・、そういう調子で侮ることは出来ません。国家がどうであれ、我々は地のところに這いつくばってでも、友好・親善をしてやっていく、これは大きな力だと思います。教科書問題の0・03%は、やっぱりそういう結果だと僕は思います。私達は日本の学者や教育者、市民達から、励まされたし力になってもらいました。連帯してるっていうことなんです。サッカーの時もそうでした。日本の人たちが赤いシャツを着て、唐辛子のように真っ赤になって・・・。本当にあれですよ、在日の人もかなわないっていうぐらい、応援しあったんじゃないですか。やっぱりそういう地にある友好というのは、一番効果的だと思うんですよね。だからどんな困難な政治情勢になるか、これからどんな局面を迎え世界が変わっていくか、日本と韓国がどの様に変わっていくかはわからないけれども、一歩先は本当に闇でしょう、たぶん・・・。だけども我々は国民、市民の友好親善を、政治とか難しいものは超越して、人間対人間でつきあう、人格対人格をもってつきあいをするということじゃないでしょうかね。僕はそれが勝負だと思いますよね。

参加者 動けば開けるのよ。そういう止まってどうって言うから暗くなっちゃうのね。


 人の出会いは、挨拶から始まるわけだけれども、出発の挨拶が良ければみんなうまくいくんですよ。だからいい挨拶しあいましょうよ。アンニョンハシムニカ・・・。良い挨拶から始まって、それで仲良くやろうと、私はいつもそういう考えです。

参加者 立ち止まったら動けない。

 簡単でしょ。アンニョンハシムニカってやりましょうよ。

参加者
 もう感動しちゃって・・・。それで1つ先生にお願いしたいことがあるんですけど、私は北富士演習場の問題をいつも取り上げて、本を出しているんです。今度出す本に、このお話の中から・・・、山梨県の方が2人出ていますよね、兄弟の。そこのところをちょっと紹介をしたいと思うんですけれども、よろしいでしょうか?


 啓蒙というか、広宣というか、広めて下さるということは、もう願ってもない友好親善、交流の大きな教宣になるんじゃないでしょうか。今まで知らなかった方々が覚醒されて、自分たちの過去、先祖ですよね、立派な人がいるということを、誇りにしてもらうということは、日本のためにもいいんじゃないかと思います。

参加者
 その土地の方たちがそれを知ってびっくりするんじゃないかな。私が今びっくりしてるんですから。ですからこれはどうしても紹介したいなあと思うんです。

 高根町には資料館もありますから。ぜひ高根町の風土を訪ねて下されば。

参加者 私はあそこのふもとに、かなり長い間行ってたんですよ。

 長坂ですか。

参加者 ええ、長坂に。あそこで終戦を迎えたんです。その時の思いがふつふつと今来ちゃって、ああこれはすごいと・・・


 韓国の人が誇りにしてるんです。在日の私が誇りにしてる人物をなんで紹介しないんですか。これは日本人だとかそうじゃない、人間として素晴らしいって私は言ってるんです。そういう人を紹介するのに、何をはばかりますか。私達の誇りのためにも、ぜひ紹介して下さい。

参加者
 先ほど河さんの方から、今の天皇は先祖が朝鮮の方から・・・ということは初めてですね。恐らく日本人は、ほとんど初めて聞いたという人が多いと思います。その事実は、桓武天皇の母親が百済家の・・・。そのことは韓国へ行ったら、ある意味じゃ常識化されているわけでしょ。日本の天皇が百済・・・、それはしかも桓武天皇よりずっと前にも、そもそもが百済から亡命というか・・・。日本についてはそれが全く伏せられたままですね。戦後いろんな人が・・・、ほとんど知られてない。ところが今のその自由主義史観の教科書では、そんなことは一切言わない。むしろ日朝関係・・・全くインチキなことを書こうとしている。例えば秀吉の朝鮮戦争、それから日韓併合に至る・・・。要するに、朝鮮人が正しくないから日本人が助けてやるために行くんだという内容で、終始している状況ですね。これに対して草の根的に反撃していかないと、大変なことになる。実は自由主義史観の連中っていうのは、こういうのたくさんやってるんですね。それに相当高年齢の人も含めて来てるんですね。彼らは要するに来年の教科書採択に向かって、着々とやっているという・・・。それに対して、前回は0・・3%ですか・・・、恐らく数%・・・。それに対する本当に草の根的な反撃が・・・。要するにわれわれが歴史の内容を知ってるということをやっていかないと、学校で教えないわけです。逆に恐らくああいう自由主義史観の教科書が配布されると、一生懸命やると思うんです、彼らは。ちょうど「日の丸・君が代」がいったん法律化すると、「強制しない」と言いながら、全くあれはいじめと強制でやっている。これからはそういうふうに彼らはやってくるんじゃないか。それに対して本当に闘う必要があるんじゃないかというふうに思いますね。


 2002年の1月1日の朝日新聞の記事ですよ。天皇陛下がお話しなさったわけですね。これはもう日本のマスコミには全部出た話ですから、日本人が知らないということはないんですよ。韓国人は常識なんです。そういうふうに理解していいと思うんですけれども。教科書で教える教えないは別にして、天皇陛下自身がそうおっしゃってるわけですから、間違いないでしょう。私なんかはいつもこういうふうに考えるんですよ。遺伝、要するに血ですよね、DNA。世界の学者でも特に日本の学者が優れてる遺伝学を研究する人が発表してるんですよ。65%はだいたい中国の大陸系か朝鮮人の血と日本人の血が混じっている。だから私は日韓は兄弟だといつも思ってるんです。親族だと思ってるんです。別に私は朝鮮人だからとか、日本人だからとかっていう、そういう垣根で日本人と呼んだり、自分を韓国人だというふうに言ってるんじゃないんですよ。私は秋田で長く暮らしました。18まで秋田で暮らしました。私は秋田に行くと「秋田県人」って言っていばってるんですよ。秋田の人も、「こりゃあ秋田の人だ」って言って私を歓迎しますよ。「ああ朝鮮人が来た」とは言いませんよ。田沢湖町の人物名鑑があるんです。私は田沢湖町出身の秋田県人として出てくるんですよ。そういう社会ですよ。18年も暮らせば秋田県人として認められる。いばって私は「秋田県人」って言います。秋田ほど、方言の面白い美しいところはないですよ。人間の温かみの情緒が端々から滲み出てくる、だから秋田を一番誇りにしてるんですよ。そういう生き方でいいじゃないかと私は思うんです。

参加者 河さんみたいに自信を持って堂々と・・・

 いやみんなが自信を持たなきゃだめだと思うんですよ。

参加者 ただ、在日の朝鮮人・韓国人だと、そこまではっきり言う人っていうのは、僕は初めてです。


 だから私は残念だと、ちょっと悔しいと・・・。そうやって埋没して小さくなっちゃって・・・

参加者 
 河さんは今まで生きてきて、そういうところまで到達したんだと思いますけどね。自分の人生でそういうふうに・・・


 私はまだ学校に行っなかった、戦前の話ですけど、もう終戦間近の話ですよ。秋田の田沢湖で生きていかれないというので、大阪に引っ越した。そこで終戦を迎えたって言ったでしょ。終戦を迎える前のこと、毎日町内会で防空練習をするんですよ。焼夷弾が落ちてきて恐い日が続き、その火を消さなきゃならないでしょ。消すための消火練習するんですよ。それから敵が来たら殺さなきゃならないというわけで、竹槍を突く練習を町内会でやったんですよ。僕はまだ子供だから、見てたんですよ。大人がやること真似するわけですよ。私は竹竿を持ってやったんですよ。大人は竹棒で本当に・・・練習したんですよ。子供だから、別にやらされたわけじゃなくて、大人がやる真似をして一緒にやったわけですけどね。ところが近所に同じ年の日本人の子供がいて私のことを「朝鮮人、朝鮮人」てバカにするんですよ。その子は朝鮮人が何かもわからないで言ったわけでしょ。だけれど私は無性に腹が立ってね。なんでそんなに「朝鮮人、朝鮮人」てバカにしてはやし立ててやるのかと思って、竹竿で叩いたんです、憎たらしいから。その竹竿の先っちょがちょっと眼に触れたんですよ。その子は怪我しちゃってね。それで私は家でお母さんに怒られちゃってね。朝鮮人だとバカにされて怒ってやったのは、いいんだけど、人に怪我させてそれはいけないって言って、うんと怒られ、謝りに行けと言うわけです。そしてしょうがなくて謝りに行ったわけですよ。そしたらその子のお母さんが・・・、いや私は本当に感銘を受けましたよ。自分の子どもが朝鮮人をバカにしたから、うちの子どもが悪いんだから、あんた謝ることないでしょって・・・。私のお母さんも立派だけど、相手のお母さんも立派で、私はそういうところから学びました。その時の事はずっと今日まで忘れませんよ。僕は生き方の問題で、非常にそういうことは大事だと思うんですよね。どうでしょうか。

司会
 河さん、そろそろここは切り上げて、お腹も空いてきたでしょうし、ぜひ皆さん交流会の方にお残り下さい。すぐそこの居酒屋さんを予約してありますので。 

          以上

《11月 ニイハオ・パーティー》2004年11月13日(土)

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更新大変遅れました。(汗)正直忘れてました。(汗汗)管理人