◇追憶・盲目の群◇

中川伊作作 「盲目の群」

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追憶・盲目の群

 我が家のリビング入口には、中川伊作の木版画「盲目の群」が掛かっている。共に生活するようになって、もうかれこれ二十数年になろうか。私は起きると、まず今日はどう生きるかと対話する。そしてその夜、戦い終えた疲れを癒し、慰め語らう親しい絵である。「盲目の群」は、私の人生の糧であり、哲学思想であると同時に、一日の始まりであり終わりである。それはまた、私の生活の規範であり、反省の鏡でもある。教えの源であり、師である。「盲目の群」との厳粛なる対面は、明日への前進を約束する。私はその啓示を神の言葉として聞いている。

 この木版画はドラマティックな絵である。数人の盲人が盲目の指導者に導かれて列を作って橋を渡る図である。橋は壊れ、進路が断絶され、橋から落ちる危険が押し寄せている。橋の下は川。深さは知れない。先頭は進み、後の人は盲従してついて行くのみである。全員が川に落ちる結末は自明の理で、不幸が迫っている。全員が犠牲者となることもわかる。行列の最後の一人は提灯を持ってついて来ている。これは何を意味するのであろうか。私は思いやりではないかと思っている。意味深である。

 「百姓ブリューゲル」というレッテルを貼られた画家ピーテル・ブリューゲルの芸術は、四百数十年間、世界の人々に愛され学ばれている。私もその一人である。この巨匠のメッセージは辛辣で、鋭い人間批評、社会風刺が込められている。テーマは謙譲と寛容と懇請で彩られている。ブリューゲルには、最高傑作「盲人の比喩」(一五六八年ナポリ国立美術館蔵)の作品があり、その主題は「もし盲人が盲人を手引きするなら、二人とも穴に落ち込むことだろう」(マタイ伝第十五章十四節)というキリストの譬である。

 ブリューゲルの時代には、いざりたちを見てもさほど哀れみを感じなかったし、盲人達に対しても全く同じであった。今日の世界にもブリューゲルの時代が現存するから、人類はこの四百年間さほど進歩していないのかもしれない。「盲人の比喩」における盲人達は一人の邪悪で無責任な指導者の犠牲にされた、哀れな人々なのである。先導する者が邪悪なのではなく、他の人々も全く同じであるという不幸なのである。ブリューゲルは見えない眼、見る事の出来ない眼を教訓的主題で警鐘を鳴らし、名作「盲人の比喩」を遺産として現代に遺した。

 中川伊作は「盲目の群」を、戦時中のふとしたエピソードから製作した。その作品で戦後の日本の国情を風刺したという。彼は単なる過去の描写だけでなく、また単に過去を現在にという平面に移し換えたに止まらず、芸術の良心として表現したものだ。

 巡り巡って現実の、我々の生きる世相を見ると、外には東西、南北間に民族や国境をめぐっての対立があり、内には教育現場の混乱や家庭崩壊問題、金ボケ政治にバブル経済問題。この世は正に世紀末であると嘆かずにはいられない。

 私は光州盲人福祉会館建設の際、募金活動のパンフレットの表紙に「盲目の群」を掲げ、アピールした。暗示的ではあったが、建設運動全体の精神的シンボルとしたのは私の比喩でもある。

 指導者さえ眼明きであるならば、後からついていく者には平安と信頼と、豊かな世界が開かれている事を悟っていたからだ。私が矜持を持って開館建立を成し遂げられたのは、「盲目の群」の啓示と教えがあったからだ。

 中川伊作は一九八二年(昭和五十七年)平成天皇に禅宗の教訓に因んだ作品「盲目の群」を献上した。「木はその実によって知られる。」と言われる。とするならば、不朽の名声はその実が実証することであろう。

河正雄著「望郷・二つの祖国」成甲書房(1993.10.5)

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