◇「人間の価値」◇

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カント学者でリベラリストであった安倍能成は、その著『青丘雑記』(一九三二年、岩波書店)の中に「浅川巧さんを惜しむ」を書いたが、これが一九三四年、中等学校教科書に「国語 六」に「人間の価値」と題して収録され、世の人々に知られることとなった。
 高校時代になんでふれたのか、今は思い出す術もないが、記憶に止めたことが、浅川巧との出会いとなり、清里ライフの基になったと言っても過言ではない。
 「巧さんのやうな正しい、義務を重んずる、人を畏れずして神のみを畏れた独立自由な、官位にも学歴にも権勢にも富貴にもよることなく、その人間だけの力によって露堂堂(禅語、何一つかくすことなく堂々とあらわれるさま)と生きぬいていった。かういう人はよい人といふばかりでなくえらい人である。人間の生活を頼もしくする。人類にとって人間の道を正しく勇敢に踏んだ人の損失ぐらい、本当の損失はない。」安倍能成をしてかく言わしめた浅川巧は、今も私の心に普遍の価値として生きている。

 「俺は神様に金はためませんと誓った。≠ニいはれたそうである。一種の宗教的安心を得て其自身の為になされてその他の目的の為に、報酬の為になされることを極度に忌まれた様に思ふ。道徳的純潔から来たものであろう。」

 弱者を見過ごせない清貧の人、右手で行った善行を左手に知らしめない行事は常に朝鮮の人々の心にとけこもうとする彼の人格がさせたことだ。
 「奸悪な者、無能な者、怠惰な者、下劣な者の多くははるかに高禄を食み、長を享楽しているが、巧さんのごときは微禄でも卑官でもその人によってその職を尊くする力ある人である。巧さんがこの位置にあってその人間力の尊さと強さとを存分に発揮し得たといふことは、人間の価値の商品化される当世に於て、如何に心強いことであろう。私は巧さんの為にも世の為にも寧ろこの事を喜びたい。」
 「巧さんの仕事が、種を蒔いて朝鮮の山を青くする仕事で、一粒の種を蒔き一本の木を生ひ立てた方がどんなに有益な仕事か知れない。巧さんは『種蒔く人』であった。」
 「朝鮮人の生活に親しみ、文化を研究し、大正一二年来、柳宗悦君や伯教(のりたか)君と協力して朝鮮民芸美術館を設けた巧さんの態度は実に無私であった。内地人が朝鮮人を愛することは、内地人を愛するより一層困難である。感傷的な人道主義者も抽象的な自由主義者も、この実際問題の前には直ぐに落第してしまふ。」
 「巧さんの生涯はカントのいった様に、人間の価値が実に人間にあり、それより多くでも少なくでもないことを実証した。私は心から人間浅川巧の前に頭を下げる。」
私は人を惜しむ文でこれほど痛切に真情を吐露した言葉を他に知らない。

 戦前の教科書にのせられていた安倍能成のこの文章が、戦後になってなぜ教科書から消えてしまったのか。政治や経済が変われば、「人間の価値」そのものまで変わっていくとでもいうのだろうか。お金の価値のように人間の価値も変わる安価なものだろうか。価値は変わらないのだが人間が変わり、世の中の都合で変わっただけではないかと思われるがどうであろうか。

 私は、どんな時代でも人間の価値は変わるものではないと思い、今日まで浅川巧を思いつづけて在日を生きてきた。

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