◇記者の目◇

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慰霊とは別の意味で重苦しい沈黙が漂っていた。田沢湖畔に立つ「姫観音」で二十二日にいとなまれた供養祭での出来事ー。参列した田沢湖町当局側が「朝鮮人」はおろか「工事犠牲者」の件に一言も振れず、姫観音をいかに均衡誘客に結び付けるかのあいさつに終始したからだった姫観音は死滅した魚と湖神辰子の慰霊に加え、戦前導水工事の事故現場で命を落とした労働者を慰霊する像として伝えられている犠牲者の中には無論、多くの朝鮮人労働者も含まれていた。
 在日韓国人の河正雄(ハ・ジョンウン )さんはいぶかしく思いながらも、その場では「姫観音にまつわる話は皆さんの心の中にあることなのであえて触れない。ただ、(犠牲者がいた)事実があり歴史があったということは話さなくても理解していただけると思う」とだけ訴えた。
 供養祭の翌日、河さんは嘆いた。「実は涙が出てあの日の夜は一睡もできなかった。なぜ、一言だけでいいから朝鮮人犠牲者について触れてくれなかったのでしょうか」
 河さんは生保内出身。小、中、高校と秋田で過ごした。日韓の不遇の歴史に遭遇した在日一世の労苦を目の当たりにし、自らもほんろうされてきた世代。高校卒業を機に日本名「河本正雄」から本名「河正雄」を名乗ったが、それすら「生意気だ」と地元で非難されたこともあった。
 「導水路工事ではあの人もこの人も亡くなった」ー。河さんは父親が言い残していった言葉の重大さをかみしめながら生きてきた。町内の寺に朝鮮人無縁仏が眠っていることや、姫観音にまつわるいわれも、そんな思いに駆り立てられて調べたのだった。「私は自らの民族を誇りに思うし、自分をはぐくんできたこの町も誇りに思う。過去にはつらいこともあったが、私たちは未来に向かって生きていかなければならない」そんな河さんの言葉を聞くうちに、再び、供養祭の出来事が重い現実としてのしかかる。素直に慰霊の気持ちを言葉で表すことに一体何のためらいがあったのだろうか。                (角館支局長・佐川博之)

 記者の眼から見て、慰霊祭の場面はよほど奇異に感じられたのであろう。
追って地元の友人から手紙が届いた。「これが田沢湖町の現実です。ことの真実を理解することについて、おそらくこの土地の人たちが一番時間がかかるでしょう。もしかしたら永久に・・・」
私はあらためて歴史の中に生きることの重さをかみしめながら、慰霊祭の朝のことを思いおこした。
この朝、姫観音のそばの田沢湖畔で、呉監督のインタビューをうけた。
「河さん、今朝この田沢湖畔で何を思いますか。」

「私は、五〇年間、田沢湖を見つづけてきました。見なれた風景ですけれども、一度として同じ田沢湖ではありません。訪れるたびにちがった田沢湖に会うのです。今朝の田沢湖も、これまでになかった新しい田沢湖のように見えます。これを無常というのでしょうか。」

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