◇未来志向の生き方を◇

伯仲へ ホームへ 次へ 戻る

「在日の既成概念は強制連行や差別問題で権利獲得の戦いという暗いイメージである。私はそれらの政治情況をのりこえた未来志向の生き方をする同胞のありのままの姿に視点を当てた映画を作りたい。」このように語りはじめた呉監督は、在日の一つの生き方として河正雄のありのままの姿を撮影したいと切りだした。

 私は覚悟をしていた。製作費はカンパで工面するとの報道で知っていたから何がしかのカンパの要請に見えられたのだと合点していた。ところがなかなかその話を切りださず、何の拍子でか知らないが、私の映画出演の話がもちあがったのだから驚いてしまった。                     「河正雄の在日」というテーマでの撮影が、こうしてもちあがった。真夏の韓国と中秋の日本、私の二つの祖国、二つのふるさとで、ロケーションが行なわれた。
 撮影は、八月一四日に始まった。ソウルに向かう機内でのスナップ。八月一五日の光復五〇周年記念中央式典、旧朝鮮総督府の尖塔撤去セレモニー、ソウル南大門の様子。場所を移して、光州市へ。ゆかりのある光州市立美術館の「河正雄コレクション記念室」、「光州盲人福祉会館」での盲人たちとの談笑インタビュウ。そして私の父母の故郷、霊岩の先祖の墓や王仁廟など五日間にわたって韓国ロケが行なわれた。真夏の盛りのことで、連日四〇度近い中での作業は、スタッフともども汗の中での撮影であった。
 呉さんは、今回二〇年ぶりの韓国訪問で、この間の韓国の経済的発展ぶりに驚くことばかりであったが、あまりの変わりように昔のよさがなくなってゆくようで淋しいとしきりにつぶやかれた。失ってはならない固有の伝統的なものが消えてゆくことが、発展に結びつくものではないと芸術家らしい見識を述べられた。
 「月出山の山並みがとても美しい。河さんの祖先が眠る九龍峯の山容が印象的であった」と感想を述べていただき、自分が誉められているような気持ちになった。
日をかえて一〇月二〇日から三日間、私の故郷、秋田県田沢湖町での撮影となった。ロケにあたって、呉さんは、「河正雄の在日」撮影の意図について、あらためて次のようなコメントを示された。

 在日二世河正雄にとって「祖国」・「故郷」とは何か? その一端をさぐる目的で、今回秋田県田沢湖町へロケをくむ。河正雄は、自らの多感な少年時代を過ごした田沢湖町をこよなく愛し、そして両親の故郷である韓国の光州・霊岩を愛しつづける。河正雄の郷土愛は抽象的・観念的なものではなく、実に具体的である。たとえば韓国霊岩には先祖の墓碑を建立し、市立美術館に絵画を寄贈し、光州市の盲人施設の建設に尽力し、光州名誉市民章を贈られるほどである。
 一方、河正雄は、田沢湖畔にたつ「姫観音像」の真実の由来、つまり一九四〇年に完成した生保内発電所建設にかかわる田沢湖導水路工事で犠牲になった多くの朝鮮人労働者を慰霊する像であったことをつきとめ、田沢寺に「朝鮮人無縁仏慰霊碑」を建立し、毎年秋、地域の人々と共に法要と慰霊祭を催している。さらに、田沢湖町立図書館に河正雄文庫を開設し、母校である生保内小・中学校には「記念像」を寄贈している。そして、民族歌舞団わらび座の韓国ソウルおよび光州ビエンナーレ公演の実現とその成功に力をそそぎ、将来的には「在日」の画家たちの作品を中心とした「田沢湖祈りの美術館」建設の夢を抱きつづける。
 河正雄の「故郷」に対する情熱は、とどまるところを知らない。在日韓国人二世である河正雄にとって、それほどまでに具体的実践を通して思いを込める「故郷」とは何であろうか?
「在日二世・河正雄」を通して、戦後五〇年を生きてきた「在日」の一つの姿を描きたい。

次へ 戻る