◇「チョッター」の大コール◇

伯仲へ ホームへ 次へ 戻る

わらび座ファンツァーの一行が光州入りした。七泊八日の光州ビエンナーレ見学と韓国文化の旅と称した全国からのファンたちの集まりで、二八日の光州ビエンナーレわらび座記念公演を観るためである。中には在日三世で私の姪の鄭春華や、わらび座の茶谷十六君夫妻も見えた。茶谷君をのぞいて、ほとんど全員初めての韓国訪問で、感慨深く目にふれるものすべてが興味深そうな様子であった。
 一日だけツァーの皆さんをビエンナーレへ案内した。全会場をくまなく、何一つ見落とすまいと、足を棒にして目を皿にして見学した。現代美術の不可解さ、ビデオアート、テクノロジー作品の難解さに困惑した様子であった。
 開会後の入場者は、予想をはるかにこえるもので、連日各展示場の入口は入場制限のため長蛇の列、閉門時間も一時間延長となり、出だしすこぶる順調。まずまずの雰囲気で、一行大へんご満悦で、ガイドのしがいがあった。
 別れの最後の夜、私は一行に質問した。
「皆さん、たくさんの韓国の思い出を作られたことでしょう。このたびの旅の中で何が一番好かったか。深く考えずに瞬間思いついたこと、印象に残ったことのうちで一つだけえらんで、私が号令をかけますから、全員一斉にこたえてください。」
 ワン・ツー・スリーの掛け声とともに、全員が一度にこたえるものだから、「ワァーッ」としか聞こえない。そこで一人一人に聞きなおした。
「キムチ」「ビエンナーレ」「光州」「慶州」「わらび座」「霊岩の南道文化祭」「王仁博士の廟」「月出山」「河回の民俗村」「プルコギ」「民俗博物館」「国立光州博物館の青磁」「光州市立美術館」「パンソリ」・・・。
「皆さん一人一人が一つ一つ好かったと言って下さったことを総合すると、要するに全部″Dかったということですね」といったら、大拍手、大爆笑。 「そうだ、そうだ」と全員コール。
「皆さん、こんな時、韓国では、チョッター=A好かった、いいぞ、と喜びを表現するんですよ。」
いっせいにチョッター、チョッター≠フコールがわき起こった。
「皆さん、韓国に来てくださったのですから、韓国と韓国人をいっぱい好きになって帰っていただきたいと思います。韓国を好きになる秘訣は、一番先に河さんを好きになっていただくことです。そして日本に帰られましたら、私を好きになってくださった以上に、皆さんの近隣、、身近な在日の韓国・朝鮮の人々を愛し、友人になって、両国の友好親善のためにお力を出してください。お願いします。」
またまたチョッター! チョッター!≠フ大コール。よき出会い、よきご縁、よき友人、よき同胞を確認したのだ。



 九月二六日、光州ビエンナーレ記念公演日本代表、民族歌舞団わらび座「海班」十七名の光州入りから、いよいよ私の役も本番を迎えることとなる。
 光州空港に降りたった一行は、長旅のせいなのだろうか、表情が強ばっている。それとも緊張のせいなのだろうか。原団長・是永事務局長を除いて、全員初めて韓国入りした公演チームである。原由子団長・安達真理さんに組織委から花束が贈呈された。
 翌日は、早朝からさっそくリハーサルに臨む。本番でもないのに多数観客が集まり拍手をしてくれる。反応は上々である。新聞記者、テレビ局が多数取材に見え、その夜からはTVニュースが継続して流され、翌朝の新聞には、カラー一面でわらび座リハーサル風景が紹介され、反響と期待の大きさに驚かされた。
 午後からは、代表五名が光州市長表敬訪問。市長から歓迎と激励のことばをいただき一同感激の面持ち。その夜、組織委員会心づくしの歓迎レセプションが開かれた。全員正装、見違えるほどの美男美女たち。美しい、眩しい、凛々しい団員たちの表情は心なしか柔らかくおだやかなものになっていた。昼のリハーサルの雰囲気や反応・結果がよかったから自信が出てきたのだろうか。               型破りの歓迎会の乾杯の音頭はチョッター≠ナあった。「こんな時、韓国ではなんといって乾杯の音頭をとるのですか」と、座員から質問があったからだ。「こんなうれしい良いときは、チョッター≠ナやるんですよ」 丁栄植副市長・組織委事務総長が高々と杯をかかげた。
 原団長が謝辞を述べた。「戦後わらび座をささえてくださった韓国・朝鮮の方々が、チョッター≠ニいって激励してくださったことを思い出します。チョッター≠ヘわらび座の原点、今日ここでチョッター≠ナ乾杯できますことは感無量でございます。」
 なんとうれしいことばだろう。わらび座のハート(心)を組織委の皆さんもしっかりとつかんだ晩餐会であった。

次へ 戻る