◇春雪茶のあと味◇

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その夜、三愛茶会主催の歓迎晩餐会が光州郊外にある連稀会館で開かれた。三愛茶会の会長は、韓国画家直軒・許達哉氏。氏の祖父許百錬(一八九一ー一九七七)は、湖南が、いや韓国が誇る歴史的文化人である。画道で超然脱俗なる禅の境地を切り開いた最後の韓国南画の大家。道徳と倫理を説いて、「茶を飲めば、道を開くことが出来る」と茶道を確立、無等山麓に春雪茶で有名な三愛茶園を開いた。また、デンマークから農業科学を導入し、農業指導者の育成に貢献し、檀君子孫としての弘益思想を広めたのである。光州市立美術館には許百錬記念室があって、おかげで私の記念室までが光栄に浴し、至福の縁を有り難く思っていた。百錬は、青年期に日本で学んだが、後に独自の画風を確立した韓国を代表する南宗画家。二十代の時、富岡鉄齊の号「百錬」を、自らの名として改名した。このたびの光州ビエンナーレ国際特別展「文人画と東洋精神展」には、期せずして富岡鉄齊の画と許百錬の画がならべて展示された。両者の縁の深さをしみじみと痛感させられる光景であった。
 その画前で、光州ビエンナーレを祝賀するお茶会が開かれたことの意味の深さ。私は、境界を越えた喜びが満ち満ちてくる胸の高まりをおさえることが出来なかった。
 許達哉氏とは、このたび初めてお会いしたのだが、晩餐会に先だち私たち一行を旧知の仲のように、祖父のアトリエに案内してくださった。無等山中、渓谷美の美しいところにあった。文化財に指定された建物「春雪軒」。祖父の記念館、美術館をこの地に建てることを夢見ているのだと語った氏の笑顔が優しかった。日本式の畳の部屋は、何とも言えぬ温かみのあるなつかしい空間であり、光州の山中に日本があったことを、私はうれしく思った。
 深く濃い樹林の中で、春雪茶のお点前をいただいた。昼の茶会でいただいた玉露とはちがって淡泊であった。無等山の精気、香気なのだと御重服を頂戴した。
「陽の光に溶ける春雪の名残を惜しみながら、祖父が名づけた春雪軒≠フ狭い窓のみすぼらしさを掛軸に表現すれば、生は始まりではなく最後の一線と感じられる。
 祖父が残した春雪茶≠フ舌の先に感じる味は、祖父のようには感じなくとも、私なりの味を感じる自負心が感じ、春雪茶≠フあと味は神妙な精神の世界≠ノまで及ぶ根源のようである。ローソクの灯と陽の光の比喩のように、大家の下に大家はないという苦言、祖父は世を去り、春雪軒の深い深い意味が克服していかなければならない永遠のテーマとして残っているのです。」としみじみと情をまじえて語り、孤独を感じさせた。
 宴席は、石庭の美しい伝統民族家屋の料亭であった。料理の素晴らしさ、美味しさ、次から次へと運ばれてくる珍しい料理に、一行は息をのみ美酒に酔った。芸人がパンソリの「沈清伝」を演じたあと、珍島アリランを唱った。一同全員が立ち上ってオケチュムを舞った。アリアリラン、スリスリラン、アラリガナンネと舞う。アンコール、アンコールの声がかかって、いつまでもいつまでも舞がつづいた。禹さんご夫妻の喜びにあふれた表情が、輝くように新鮮であった。禹さんたち日本から来た一行の皆さんが、突然帯揚げ、帯締めをはずして、感謝の印だと称して三愛茶会の人たちに手渡した。驚きであった。帯を解くということは、女性として一番大切なものを差し出すことではないか。
「私たちは、こんな素晴らしいお茶会を開くことが出来、このような歓待を受けようとは夢にも思っていませんでした。今夜、皆さんに私たちの感謝の気持ちを伝えるにはこれしかないのです」

 ソウルでも光州でも、タクシーにのると運転手が、村山富市首相のいわゆる「韓日併合条約は有効に締結された」という「妄言」問題でもちきり。日韓併合条約の破棄を要求する国会決議案を提出したことでストレスも極限状態。そこへ盧前大統領の秘密資金問題で、韓国民の怒りはおさまりそうもない。

 そこで、静かに一服の茶を頂き、前後を考える一大茶会を開いてはどうか、本気で考えたりもしたビエンナーレ茶会であった。

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