◇韓国音楽人大競演◇

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祝賀午餐会は、水辺に浮かぶ景福宮慶会楼で催された。会場に向う道路は古式豊かなぼんぼりと祝賀旗が色鮮やかで、両側には伝統民族衣装で飾った儀装隊のりりしい若者が整然と並んで私達を誘導案内した。景福宮宮廷に迷いこんだような気持ちになり完全にタイムスリップしていた。
金泳三大統領のお出ましということで、出迎えのため整列した。私は背が高いので二列目にならんだ。
前列の人たちと握手をかわしながら大統領が私の前まで進まれた時、私は軽く目礼をした。私と大統領の目と目があった。大統領が一歩進んで手をさしのべ私の手を握ってくださった。何か一言私に話された。余りに突然のことで、私はその時カッとなってその言葉を聞きとれなかった。
私には、大統領とは、数々の出会いがある。
思えば、一九八一年のことである。光州へ向う飛行機の中で同席したことがある。まだ野党の党首の時代だ。随員は一人で、光州空港の出迎えは二人であった。九〇年一〇月一五日、ソウル児童大公園で開かれた第十一回韓国盲人福祉大会の席だ。その時は、与党の名誉顧問、韓国盲人福祉協会名誉総裁であることをその時知った。名誉総裁として感謝牌を受けられたあと、私が第一号功労賞を受領した。壇上で目礼したとき拍手を下さった。
 民選大統領になられた九三年一〇月一一日、光州市で開かれた第七四回韓国体育大会の開会式席上でお会いした。実は、一〇月八日は光州市立美術館に私が寄贈した全作品二一二点の展示オープン式においで下さりテープカットをして下さるとのことで心待ちにしていた。しかしその日は、西海岸でフェリーの事故があり多くの人命が失われたということで急遽その視察に向かわれ機を逸した。
 九四年三月二四日、国賓として日本を訪問。ホテル・ニューオオタニでの歓迎レセプションの席でお会いした。その間、拙著『望郷ー二つの祖国ー』も謹呈した。読んでくださったかどうかは聞くすべもないが、このような数々の出会いから、私を覚えていて握手をしてくださったのだと一人合点、悦にいったのだから幸いなことだ。
金泳三大統領との出会いから、人生は流転だ。人には境涯がある。忍は無辱なのだ。志が今あるのだと考えた。



 慶祝行事は続く。東大門運動場から光化門にいたる道は、人の波、波。こんな多くの人の波は見たことがない。「キルノリ」。直訳すると道遊び、日本流にいうとパレート。我々のために設けられたテントと座席には、趙淳市長、朱敦植文化体育部長官が同席され、身の丈以上の韓国伝統の大太鼓をお二人で打ち鳴らした。「キルノリ」パレード開始の合図である。
そのパレードのにぎにぎしさ、派手さ、奇抜さ、騒々しさ。みな生き生きと楽しそうに行進して行く。祭りだ祭りだという感じ。
 夜は、ソウルオリンピック メインスタジアムで行なわれた8・15祝典音楽会「世界を輝かせた韓国音楽人大饗宴」が開かれた。八八年のソウルオリンピック開閉会式に参加後、七年ぶりのスタジアム訪問。その時の感動と感激の余韻がよみがえって熱いものが込み上げてくる。
今をときめく三姉弟、姉鄭明和のチェロ、妹鄭京和のバイオリン、弟鄭明勲の指揮とピアノ。さらに張永宙のバイオリン、ソプラノの曹秀美等、今後どんなお金を出してもこれだけの韓国が誇る世界的アーティストが一同に揃う演奏会はないだろう。漢江の夜空に慶祝の花火が打ち上げられ、統一の願いをこめて歌い演じたのだ。                           
 私は思った。日本での光復節は儀式的で余りおもしろくなかったが、祖国での光復節は実におもしろい。そして楽しい。完全に祭りなのだ。そうか、光復とは、「幸福」なのだと思った。          日本は、無条件降伏したことで、戦後の平和国家、民主国家を築いてきたではないか。敗戦だ、終戦だ、反省だ、慰霊だという暗いイメージにばかりとらわれないで、明るい未来志向の「幸福」を創造する八月十五日であってほしいと思った。立場はちがえど、この日の意義を共通のものとしてとらえたいものだ。私をこんなにもハッピーにしてくださったソウル市民、そして熱い熱いやさしいやさしい祖国に感謝しながら、慶祝の光復五〇年八月十五日を夢のようにすごした。



 熱さめやらぬ感激の日々が引き続いたところへ、追って趙淳市長から鄭重な礼状が届いた。     
「祖国を輝かせてくれた海外同胞のみなさん!八月の熱い日差しの下、ソウルの鐘路を歩きながら、光復半世紀のあふれる感激を共にわかちあったみなさんの姿が今もなおありありと思い浮かびます。 たった三泊四日の短い故国訪問ではありましたが、みなさんとの出会いは、私に韓民族としての矜持と熱い同胞愛を感じさせた価値ある思い出となりました。しかし、みなさんがソウルにいらっしゃる間みなさんに対してあまりにも粗相があったのではないかと悔いが残ります。今は故国を遠く離れていらっしゃいますが、みなさんは我々民族の誇りであり、大きな力となりました。難しい条件の中でも、すばらしい業績と名声で祖国と民族の名誉を守ってこられたみなさんを迎えながら、我々国民は心いっぱいに矜持を感じることが出来ました。また、わが国をひきついでいく青少年たちは、みなさんを見ながら未来に対し広大な夢と希望をはぐくむことが出来ました。私は、今回の故国訪問を機会にみなさんが五〇〇万人の海外同胞と祖国を結びつける橋渡しとなり、光復五〇年を迎える祖国が統一に、未来に、新たに跳躍するのに大きな力となっていただきたいと思います。また、いつもソウルの名誉市民であるということを忘れず、ソウル市の発展のための忠告と助言をお願いいたします。いつまでも健康で、家庭の平和と仕事により大きな栄光がありますようお祈りいたします。」

 至れり尽くせりの接待、そして名誉まで頂いて恐縮至極、誠意を感じ入るばかりである。祖国の配慮と思いやりが身にしみる。祖国の栄光とソウル市の発展を心から祈念するのみ。

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