◇祖国を輝かせた海外同胞◇
八月十四日、ソウル特別市主催の「世界各分野で祖国を輝かせた海外同胞」歓迎レセプション・晩餐会が開かれた。開会に先立ち、招待された八六名の顔写真がメインスクリーンに写し出され紹介された。招待のタイトルもこそばかったが、自分の貧相が写し出された時は恥ずかしかった。こんな派手なことをしてくれるなら、もっと男前に撮っておけばよかったのにと苦笑した。 突然、「これから、ソウル市名誉市民章の授与を行います」と、司会者が名前を読み上げた。 「在日同胞河正雄(ハ・ジョンウン)」と呼ばれた時はびっくりしたと同時に「なぜ、僕が?」と思った。事前に何の予告もなく、まったく予想もせずに参席したのだから驚いたというのが本音であったのだ。壇上に上って趙淳市長から証書を受け、メタルを首にかけて頂いたときは硬直状態で、自然に潤んできたのだから正直者であるとつくづく思った。こんな名誉を受けるなら何故に苦労をかけた妻を同伴しなかったのか悔やむことしきり。みんなは家族と共に出席しているではないか。まったく無神経で、妻に申し訳なく思ったがあとの祭り。不粋な男である。 なぜか胸さわぎ熱くなる光復節。その一九九五年八月十五日を迎えた。 「光復五十年、統一へ未来へ」をテーマとする「光復五十周年記念中央慶祝式」は、金泳三大統領と三府要人及び各界代表、海外同胞、市民等約三万人余りが参加する中、光化門前広場で挙行された。 私は、午前九時、民族伝統儀装隊の先導で「祖国を輝かせた海外同胞」のプラカードを先頭に世宗大路を行進、大極旗を振って入場した。市民らの拍手と歓迎の歓呼がいっせいにわき起こり、一生懸命旗を振って「ありがとう、ありがとう」と感謝を述べた。 「旧朝鮮総督府建物を撤去し、陰欝だった過去を清算し、民族正気を正しく立て、明るい未来を志向する景福宮復元作業と新文化通り建設を今日から始める」と宣言され、祝砲とともに旧総督府建物の尖塔が取りはずされた。その間約十五分の出来事。釣り上げられた尖塔、一寸よそ見をしている間にこの瞼から消えてなくなっていた時は、煙に巻かれたような、幻を見る思いであった。そのところだけが心なしか明るくなったと思ったのは気のせいか。簡単に割り切れる問題ではなかったはずなのに、要するにサッパリしたという表現になるのだから、自分がわからなくなってしまうのが恐ろしい。 金泳三大統領が述べた光復節五十周年の慶祝辞は、未来志向の強いもので自信と余裕のあるものだった。「過去五十年は苛酷な試練の連続でしたが、我々は不屈の意志でこれを克 服してきました。わずか一世代余りの短い期間に、われわれは、最も貧しい国から、いまや 世界十一位の経済大国に跳躍しました。民主の種が芽吹くのさえ困難なその 渇いた土の上に、文民民主主義を花咲かせました。」五十年の回顧は、重く、忍と努力の五十年であったように思う。 「われわれの光復は、未完のまま残っています。南北の民族成員すべてが 自由と繁栄を享受する統一国家を建設することこそが、真の光復の完成であ りましょう。統一の大道を開くために何よりも急がれるのは、韓半島に恒久 の平和体制を定着させることです。」統一問題は、希求の願い。世界の願いであるのです。「わが民族が歴史の前面に立つことになる、アジア太平洋時代が開かれつ つあります。祖国を、世界の中心に立つ 一流国家 に作り上げること、これが今日わ れわれに与えられた民族史的使命です。そのためには、第一に、世界化されなければなりません。真正なる民主主義が定着しなけ ればなりません。 第二に、真の文化国家を建設しなければなりません。何よりも人間と生命を尊重する社会をつくらなければなりません。第三に、人類と世界の発展により貢献する民族となりましょう。」我々の今後の進路は、人格と品格を問い、尊敬を受ける地球人の誇りとなることのみ。 「われわれは今日、旧朝鮮総督府を撤去する歴史的作業を開始しました。この建物が撤去されてこそ、わが民族史の正当性を象徴する景福宮が本来の 姿を取り戻せるのです。旧朝鮮総督府建物の撤去は、単に植民地の残滓の外 形的清算にとどまるものではありません。それは、われわれすべての意識の 中に残っている誤った歴史の残滓から真に解放されることを意味します。われわれは、韓日両国の関係が不幸だった過去の陰から脱し、未来志向的 に発展することを心から望みます。」 旧総督府の撤去は、文化財、歴史の証人など、賛否両論で国論が二分された。私は撤去されるまで、どちらが国のためになるのか答を出し切れぬほどもどかしく複雑な気持ちで式典に臨んだが、十五分というあっけないほどの時間で尖塔が消えた時は、「あゝ、これでいいのだ」と自然に思うようになっていた。未来志向で行こうと真に思うことにしたのだ。 万歳三唱が終わったところへ、突然私の前にマイクが突き出された。インタビューということだ。在日二世呉徳洙映画監督である。「戦後在日五〇年史(仮称)」の映画制作で、私を密着取材しているという。「河さん、愛国歌を三番までしっかり歌われましたか。」 「ええ、三番の辛いときも楽しいときも国を愛す≠ニいうところをしっかり心をこめて歌いました。」 「河さんの祖国って、どんな祖国ですか。」 「今日の天気のように、熱くてやさしいところです。」 「式典を終えて、何を思いますか。」 「私達の願い、祖国の平和統一を成し遂げること。そして私は日本生まれ、日本育ち、自分のすべてが日本なので、日本との一層の親善友好関係を願うことです。」 上空には、休戦後初の空軍戦闘機が祝賀飛行機のカラフルなラインが虹を描き雰囲気を盛り上げている。 |