◇姜鳳奎作品世界に触れて◇
  (カン・ボンギュ)

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姜鳳奎作品世界に触れて

 「人間は、なんと知ることの早く、行うことの遅い生き物だろう」とゲーテは嘆いた。いつも私は口先だけで行動しない、怠惰な人間がなんと多いことかと、この世を突き放して見ていた。

 2002年お正月、光州で姜鳳奎先生と再会した。1995年第1回光州ビエンナーレで共に仕事をして以来である。その時、「河さんに頼みがある。韓日共催ワールドカップ大会開催、そして韓日国民交流年を記念して、日本5大都市で自作の『韓国人の故郷写真展』を開きたいので協力して貰えないだろうか」と唐突に依頼された。私は急なことで大変、戸惑ってしまった。それまで写真作家姜鳳奎のことについてはプロフィールも作品世界も知らず、まして外国である日本で展覧会を開くことの難しさを知っているのだろうか懐疑しその場では断ってしまった。だが、それは表向きの理由で正直な理由は人間、姜鳳奎を私が知らなかったからだ。後日「韓国人の故郷」写真集が送られて来て、作品世界に触れた私は目から鱗が落ちるようだった。

 姜鳳奎の一貫したテーマは「故郷」を愛する心。人間的で、温かな視点と鋭い洞察は時空を超えた姜鳳奎の心の根にある世界、今日を生きる韓国人の情緒と内なる心に作家精神の深さを感じた。私は認識を改め、日本での展示会の手助けをする事とした。

 日本ではこれまで韓国の現代美術を紹介する企画展は、何度も催されているが写真に焦点を合わせ韓国人の記憶を写真に定着させた大規模な展覧会は今回が初めてである。姜鳳奎の作品には韓国の社会状況、家族、自分自身のごくありふれた日常の風景など様々なシーンが韓国のアイデンティティを捉え直そうとする現実と虚構性について発言している。作品には韓国の原風景が深い叙情と優しさが、さりげなく日常の一瞬の中に記録されている。韓国縁りの伝統や文化を生きる韓国人の姿と共に若い世代が都市に流失することで衰退していく韓国の農村の風景は美しくも儚い現実として撮影されている。

 韓国の自然とそこで培われた情緒に対する深い観照と洞察は作家の感性が作り上げたものだ。忘れ去られた、殊に60年代から70年代に撮影された風景や人の表情はもうこの眼で見ることの出来ない貴重な韓国の歴史そのものではないだろうか。その芸術性と共に史料としても高く評価できる。

 全く国が違うはずなのに、実際に入ったはずのない場所であるというのに、懐かしい風景に出会ったと思わせるこの共感性と親近感は何なのだろうか、と不思議な感慨に耽る日本人のギャラリーも多かったようだ。伝統の良さを失いつつある日本人にもアイデンティティとは何かと問い掛ける彼らの故郷の原風景がそこにあったからではないかと私は思う。

 東京都庭園美術館学芸係長、横江文憲氏は「額縁から今にも飛び出してきそうな人々の活き活きとした表情、人物を主題とした作品が秀逸である。」と賞賛し、報道写真家の山本將文氏は「どれも懐かしくホッとさせるものばかり。人々の表情が自然で何とも言えない。」と生活感溢れる韓国人の健康的な表情を讃えた。韓国通である写真ジャーナリスト岡井耀毅(てるお)氏は展示された作品の中から電光石火、十数点を選んで朝日新聞ソウル支局長時代の良き時代の韓国を回顧した。

 写真展では老若男女、一口同音に懐かしい想い出の世界にいるようだと良き昔に想いを馳せていた。韓国人の顔(貌)、伝統的な精神と韓国人らしい個性を見て取って、その中に自分を探しをしているようでもあった。そして民族の壁を超えて生まれた「自己を知ることは他を知ること」の一体感を彼らは哲学的な感覚で掴んだのではないかと思う。会期中、日本各地から巡回展をしてほしいと数カ所、更に開催地に名を挙げる団体があった事からも関心と共感の強さが伺い知れる。人は心の中にある心象風景をいつも何かに求め探している証拠ではないだろうか。私達は何処から来て何処に行くのだろうという永遠の問い掛け、記憶を語り合う出会いと対話の場を与えたようにも思われる。失われつつある20世紀その物を象徴しているようにも考えられる。過去を回顧、省察し、韓国理解の架け橋となった誠に良い時期を得た、大義を果たした写真展であった。私はこの写真展開催に寄与できたことも喜びであったが、才知に優れ、わずかな示唆で物事の全てを理解する人間、姜鳳奎に触れたことが大変な発見であった。

 仙台展の際に私は、自分の話を聞いてもらいたい一念で「恨」ある胸の内を打ち明けた。そこで光州ビエンナーレや光州市立美術館のビジョン、写真の芸術性についてなど多くのことを語り合った。「一を聞いて十を知る」には、多くの人生経験と研鑽があってのことで、姜鳳奎の魅力的な目から、その光を幾筋も見たような気がする。人の話をじっくりと聞く習慣が廃れつつある世相に、見る目も聞く耳にも、そして発せられたみずからの言葉に写真芸術家の奥深さと五感の健康さがあった。思いがけずそこで心の交流が生まれ理解し合えた喜びは大きい。

 姜鳳奎先生との出会いは私の進歩と成長、これからの新しい人生に刺激を与える契機になったようだ。姜鳳奎の写真世界は人間としての成長と円熟の中で、ますますヒューマニズムが輝き、その芸術性は多くの人から共感をもって讃えられることであろう。そして、その作品が多くの人々の「心の故郷」の一つになることを強く願う。

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