◇郭仁植(カク・インシク)◇

1919-4/18 韓国慶尚北道大邱に生まれる
1937-3/8 韓国より日本に在住
1939- 日本美術学校に入学
1941- 日本美術学校本科研究科卒業
1989-3/3 東京都板橋区,誠志会病院
肺癌の為他界,68歳11ケ月

ホームリンクアイコン 芸術へ

郭仁植は1919年4月18日、韓国慶尚北道達城郡玄風面上洞に生まれる。1937年、郭仁植は18歳の時に来日し、日本帝国美術学校に入学した。戦前まで日本名を名乗り、独立展、自由美術展、二科展分室を経て日本近代の前衛芸術の運動に岡本太郎等と共に参加する。戦後まもなく郭仁(郭仁植ではなく)と名乗り、本名を隠し東京に在住する。大阪在住の兄が北朝鮮のスパイとして間違えられ、拷問を受け撲殺された経緯から郭仁植は韓国への望郷の念は消え失せ、日本に踏み止まる道を選択した。郭仁植にとっては韓国がさらに遠い国へと思えたようだ。その後以降1985年の韓国、ソウルへのドゥソンギャラリーでの個展、旧韓国国立現代美術館(金世中館長)での「元老作家帰国展」までの39年間、郭仁植は帰国する事はなかった。郭仁植の歴史はそのまま1910年、日本が朝鮮半島を侵略し、併合した日本に留学生として来日して、戦中、戦後を日本で生き抜いた。芸術家、郭仁植の歴史は韓日の不幸な歴史だった。郭仁植は1988年3月3日東京の練馬病院にて肺癌で亡くなった。

 2002年、韓日共同開催によるワールドカップが開かれ韓日友好が増進された。その中、韓国と日本の近代史を再検証することによって「韓日の未来に向けた、限り無い友好関係」の礎を私達は改めて、郭仁植の作品、美術史を通じて「韓日の現代美術50年の歴史」を問い知ることが出来た。韓国、光州市立美術館にて開催された河正雄コレクションによる2002光州ビエンナーレを記念する特別展〈郭仁植の世界〉はそのまま韓日の歴史として、韓日両国の発展の為に寄与されるだろう。

郭 仁植
個展
1940〜1984 韓国(大邱、ソウル)、東京、大阪、札幌、名古屋、岐阜、大津にて個展
1985 韓国現代美術館[回顧展](韓国・ソウル)
1986〜2001 韓国(大邱、ソウル、釜山)東京、ロサンゼルスにて個展
2002

韓日現代美術50年の礎/第四回光州ビエンナーレ記念展によせて
光州市立美術館 展示顧問/河正雄  (韓国・光州)

グループ展
1937 戦前より独立美術協会展に出品
1949 戦後再建二科会に参加、 のち1955年美術文化協会に招かれ同会で受賞
1956 新人選抜展受賞[朝日新聞社主催](東京)
1957 読売アンデンパンダン展
1965 東京ビエンナーレ「日本国際美術展」 東京国立近代美術館(東京)
1968 韓国現代絵画展 東京国立近代美術館(東京)
1969 サンパウロビエンナーレ(ブラジル・サンパウロ)
1970

韓国現代展[朝鮮日報社主催](韓国・ソウル)

1976 シドニービエンナーレ(オーストラリア・シドニー)
1982 英国国際版画ビエンナーレ(英国)
1988 88、ソウルオリンピック国際現代美術祭(韓国・ソウル)
2001 「形なき東洋」東京オペラシティーギャラリー(東京)
コレクション

光州市立美術館、河正雄コレクション(韓国・光州市)

韓国国立現代美術館(ソウル)
湖巌美術館(ソウル)
西武高輪美術館(軽井沢)
亀谷美術館
ワイズマンコレクション (ロスアンゼルス)
栃木県立美術館(栃木)

神奈川県近代立美術館(鎌倉)

岐阜県立美術館(岐阜)
埼玉県立近代美術館(埼玉)
羽根木ミュージアム(東京)
府中市立美術館(東京)

有楽町国際フォーラム(東京)

寺田コレクション(東京)

ホームリンクアイコン 芸術へ