◇河正雄コレクション2012画集発刊に寄せて◇
河正雄コレクション2012画集発刊に寄せて 光州市立美術館名誉館長 河正雄 ―新しい芸術(Art)― 河正雄コレクションはコレクター自身の、在日の生き様から日韓の歴史的な背景と境涯から生まれたものである。世界には有数の美術コレクションが存在するが、それらとは根本的に性格と質、内容が異なるのはコレクションを始めた動機とコンセプトが違うからである。 世界には数億のデアスポーラ(民族)が諸々の問題をかかえて故郷や祖国を離れ生きている。多国籍民族の人権と望郷への想いが、普遍的な念願「祈り」と「平和」への祈念を象徴的に芸術(Art)として表現されている。 よって河正雄のコレクションは類例がない。文は人なりという格言は芸術も人なり、とも言えるのである。河正雄コレクションは平和や愛、相互理解が実現すると河正雄が創造した新しい芸術(Art)の表現なのである。 河正雄の芸術(Art)には韓国と日本「二つの祖国」と「故郷」があり、母校と恩師、学友達との友情で塗り込められ、青春の華で彩られた人生の途中が描かれている。艱難を潜り抜けて幸福をいただいた感謝の心で描いた(収集した)作品が河正雄コレクションなのだ。河正雄コレクションはかけがえのない「故郷」に寄せる愛と連帯を結ぶ。幸せの意味と人生の妙味を共有共感し「故郷」という「宝」の価値を再認識する事であろう。 ―河正雄コレクション・盲目の群― 我が家のリビング入口には、中川伊作(1899―2000)の木版画「盲目の群」が掛かっている。共に生活するようになって、もうかれこれ三十数年になろうか。私は起きると、まず今日はどう生きるかと対話する。そしてその夜、戦い終えた疲れを癒し、慰め語らう親しい絵である。「盲目の群」は、私の人生の糧であり、哲学思想であると同時に、一日の始まりであり終わりである。それはまた、私の生活の規範であり、反省の鏡でもある。教えの源であり、師である。「盲目の群」との厳粛なる対面は、明日への前進を約束する。私はその啓示を神の言葉として聞いている。 この木版画はドラマティックな絵である。数人の盲人が盲目の指導者に導かれて列を作って橋を渡る図である。橋は壊れ、進路が断絶され、橋から落ちる危険が押し寄せている。橋の下は川。深さは知れない。先頭は進み、後の人は盲従してついて行くのみである。全員が川に落ちる結末は自明の理で、不幸が迫っている。全員が犠牲者となることもわかる。行列の最後の一人は提灯を持ってついて来ている。これは何を意味するのであろうか。私は思いやりではないかと思っている。意味深である。 「百姓ブリューゲル」というレッテルを貼られた画家ピーテル・ブリューゲル(1928―1569)の芸術は、四百数十年間、世界の人々に愛され学ばれている。私もその一人である。この巨匠のメッセージは辛辣で、鋭い人間批評、社会風刺が込められている。テーマは謙譲と寛容と懇請で彩られている。ブリューゲルには、最高傑作「盲人の比喩」(一五六八年ナポリ国立美術館蔵)の作品があり、その主題は「もし盲人が盲人を手引きするなら、二人とも穴に落ち込むことだろう」(マタイ伝第十五章十四節)というキリストの譬である。 ブリューゲルの時代には、いざりたちを見てもさほど哀れみを感じなかったし、盲人達に対しても全く同じであった。今日の世界にもブリューゲルの時代が現存するから、人類はこの四百年間さほど進歩していないのかもしれない。「盲人の比喩」における盲人達は一人の邪悪で無責任な指導者の犠牲にされた、哀れな人々なのである。先導する者が邪悪なのではなく、他の人々も全く同じであるという不幸なのである。ブリューゲルは見えない眼、見る事の出来ない眼を教訓的主題で警鐘を鳴らし、名作「盲人の比喩」を遺産として現代に遺した。 ―芸術の良心― 中川伊作は「盲目の群」を、戦時中のふとしたエピソードから製作した。その作品で戦後の日本の国情を風刺したという。彼は単なる過去の描写だけでなく、また単に過去を現在にという平面に移し換えたに止まらず、芸術の良心として表現したものだ。 巡り巡って現実の、我々の生きる世相を見ると、外には東西、南北間に民族や国境をめぐっての対立があり、内には教育現場の混乱や家庭崩壊問題、金ボケ政治にバブル経済問題。この世は正に世紀末であると嘆かずにはいられない。 私は光州盲人福祉会館建設の際、募金活動のパンフレットの表紙に「盲目の群」を掲げ、アピールした。暗示的ではあったが、建設運動全体の精神的シンボルとしたのは私の比喩でもある。 指導者さえ眼明きであるならば、後からついていく者には平安と信頼と、豊かな世界が開かれている事を悟っていたからだ。私が矜持を持って開館建立を成し遂げられたのは、「盲目の群」の啓示と教えがあったからだ。 中川伊作は1982年、平成天皇に禅宗の教訓に因んだ作品「盲目の群」を献上した。「木はその実によって知られる。」と言われる。とするならば、「不朽の名声はその実が実証する」ことであろう。「盲目の群」の作品は霊岩郡立河美術館のシンボリテックなコレクションである。 ―青春の岐路― 私は1959年3月7日、秋田工業高校の卒業式を終えたその日の上野行きの夜行列車に乗って上京した。卒業証書と身の回りの物を入れた通学鞄1つが私の所持品だった。 画家になる夢を抱えて、秋田での18年間の生活に別れを告げた。目黒の柿の木坂に下宿し、武蔵小山にある明工社という配線機器製造メーカーに日当260円で務めた。 昼は配線器具の設計の仕事をして、夜は代々木にある日本デザインスクールに通い商工業デザイン、バウハウスの理論の勉強をした。数ヶ月後に川口の芝川沿いにマッチ箱のような家を購入して、そこから明工社に通った。朝5時半には家を出て帰宅は夜の10時半過ぎであった。 そんな頃に゙良奎が「日本の友よ、さようなら」と言って北朝鮮に帰国した。1960年10月7日に新潟から北朝鮮に渡った事を報道で知った。その年の12月、私は目を痛めてしまい、3ヶ月ほど入院し盲目での生活を余儀なくされた。 過労と栄養失調から来る障害であったのだが回復することが出来た。その事で会社も学校も辞めざるを得なくなってしまう。1961年9月には台風の水害により我が家は水没した。その時川口の朝鮮総連の人達がボートに乗って慰問に現れ、お米を配給してくれた。 その人達から北朝鮮は天国のような所であるという事を聞いた。行き場を無くし悶々としていた時であったので、私も゙良奎のように北朝鮮に行き絵の勉強をしようと総連事務所に行った。しかし「君は少し北に行くのは保留して、この総連事務所の仕事をしてもらいたい。」と慰留され、そこへ務めることとなった。今考えると私の人生の大きな岐路になるのだが、その頃の私には何も判ろう筈もない。 しばらくして画家の許勲氏が事務所に私を訪ねてきた。在日本朝鮮文学芸術家同盟(文芸同)に入らないかと誘った。私は文芸同に入会したことで在日同胞作家と美術世界を知る接点が出来た。この出会いが在日同胞作家作品コレクションのルーツである。 ―東江の祈り― 第二次世界大戦が勃発し、朝鮮人に対する徴用が法制化、創氏改名令が施行された1939年、日中戦争の戦時下、私は布施(現東大阪市)で生を受けた。振り返ると民族的な恨(ハン)、そして不条理な戦争への恐れがこの当時にインプットされた事で、平和と幸福を希求する人生観と哲学が形成されたといえる。日本と朝鮮半島との歴史が在日二世の運命に大きく影響したのも必然であろう。 私の祈りは私の号「東江」に表れている。生保内中学校を卒業する時、級友達と別れの寄せ書きをした。その時、「計画」「決心」「実行」と書いた。そして秋田工業高校を卒業する時には河の流れの様に滔々と人生を生きるのだと「大河の如く」と記した。社会に出るにあたっての青春の決意であり、宣言であった。 父母のルーツである祖国韓国の泉からの流れは小川から川、そして大河となって流れていく。そしてその流れは江となり東海に注ぐ。人生の到着点を私は大洋への流れとし、自己の存在を一衣帯水とイメージしたのだ。 東洋の日の本に生を受けた在日韓国人二世としての宿命を身に感じた人生の出発点が秋田である。韓国と日本、二つの祖国の故郷を愛し、そして信頼し合える兄弟にならねばならない、そして韓国と日本の架け橋になろうと私は祈念した。「東江」には宇宙の摂理に従い、自然に逆らわない生き方をしようという人生観と初心が使命として刻まれている。 ―青春の華― 人生は旅である。人は生れ落ちた日から旅人、雲水となる。どこでどの様な境涯であろうが六波羅蜜(布施・持戒・精進・忍辱・弾定・智慧)の修行者となって生きるのが人の一生である。人間にとって、世の中で役に立つ生き方をするには、その修行を誠実に務め努力することが幸せの源である。自己の利益のみを考えるのではなく、人を思いやる心こそ人間として最も尊く、美しいのである。その心こそ芸術(Art)であると思う。人生を芸術(Art)で生きる事は優雅で至福な事である。人それぞれの旅(人生)の途中を振り返り回顧する事も修行である。 フランス語の「エラベレーション」。あらゆる仕事は新しい仕事である。何事も結果で終わったということではなく現在進行中(形)というニュアンスである。人間が生きるという事は、その時々の新しい仕上げの積み重ねである。あらゆる認識は発生学的なものであるから前回の繰り返しではない。今、自分はどこにいて、これからどこへ進んで行けばいいのか未来に希望と展望を見出す座標となる事であろう。 ―世尊のことば― 花伝書で「咲いている花は美しいが萎れた花はなお美しい」と読んだが、若い時は意味が理解出来なかった。古稀を過ぎて、世阿弥は萎れた花の審美の中に青春があるのだという。人生の喜びや極みを洞察した真理を少し知る様になった。 今日を生きる人間として正しく生きる為に、心の支えや戒めとなる世尊、仏陀の言葉に 「諸々の愚者に親しまず、諸々の賢者に親しみ、そして尊敬に値するものたちを尊敬する事。これが最大の幸せである。」という説法がある。 「いつも考えている事が人格に大きな影響を与える。過去の全ての行いや考えの結果が今の自分であり、したがって将来の自分を、自分の意思で切り開いていける。 私たちの最高の創造物は自分自身であり、自分の人生を美しく導くのなら老年期は人生で最も美しい時期となる。そこに年をとる事の意味がある。 人生の苦痛は欲望から生じ、それは未来に託すしかない。しかし過去も未来も存在しない。実在する今現在に気付く事。先ず今のありのままを受け入れ、今ある事に感謝する事。今幸せである事に気付く事。何をするかは重要ではない。心を込めてする事。」と「瑠璃の光・幸せの法」に説かれている。人生の糧となった有難い教えである。 ![]() ![]() |