◇現代韓国美術の視点◇

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-美について-

 美は神聖なものである。美は永遠であり、美には生命があるのには意味がある。美は美しい心と情緒を育む。美しいと思う心を持つのは人間だけに与えられた感性である。その感性は勇気と希望を与え心を豊かにする。だから美が人間を作ったとも言える。

 美への探求は悠久なる時空を超えて神との交信だったと言える。そして見えないものとの交信をしてきた人間が生んできた歴史の営みが神の領域から人間の領域へと導いてきたのが美であると思う。美しいと感じる心、感性は人によって違う。ある人には美しく感じられることも、違う人には美しくも何ともないということがある。美しさに対する感情は極めて主観的なものであるといえる。

 韓国美については美術研究家や評論家などの論文でそれぞれの視点から、その特色や性格について多く論じられている。

 美に対する概念は多岐多様である。美とは快感を前提として五感による感覚の経験である。美においては山水や草花などの自然の美と人間が創作する芸術の美があるが、自然が美の概念の出発点になると思う。

 韓国美術に関心や興味を持っている皆さんには、それなりの知識があると思われるので浅学の私が随想的かつ主観的な講義になるかもしれない。しかし、何らかの啓蒙性や時事性を見いだすことに、多少なりの意義はあると思う。それを踏まえて、皆さんと学習していきたいと思う。

-民族的な美感と情緒について-

 民族的感情や情緒は生活圏から生まれた固有の感受性の結晶体である。この結晶体を「民族性」という訳である。日本文化圏で暮らせば日本の情緒感情の作用を受けるのは当然である。異文化の中で自らの民族的情緒感を維持するのは難しいものだ。

 韓国の美術を中心に民族的美感と情緒について述べたいと思う。感情の表し方は民族それぞれの特徴がある。韓国人は喜怒哀楽の感情表現を体と声が一体となって表現し、抑制したり、飾ったりすることを好まない。心や腹の中に感情や思いを溜めておくことをが苦手であるということよりも、思い切り体外に吐き出すことによって生気を蘇生させ、感情を浄化させる、その効用を文化として定着させている。そして日本も中国も「情」をもって人間関係をスムーズにさせ「情」の一字が対話を弾ませ心が通じ合う共通の文化を持つ民族である。飾らない韓国人の素顔を知ればその深さを感じると思う。

 韓国の芸術の特徴、特質は自然主義や自然性という言葉でよく語られる。西洋的な意味では芸術上の理想がないから、その特質が理解されていないと言われるが、自然主義や自然性を精神的に示し、世界の注目や興味を惹き付ける美術品を生み出している事実から、理解し認知されていると考えることが出来るだろう。自然性の特質を理解する例であるが、我が民族は殆ど観賞用の庭を持たず、自然に咲く花をこよなく愛し自然界でコッノリ(花見)を楽しんだ。そして日本のように花を生けて家の中で楽しむことはなかった。生活信条が自然の中にあり、自然の風景を借りたものにせずに生活、日常に取り入れていたからだ。しかし今は高度に発達した都市での現代建築の中では潤いを求めて、花を生けて楽しむ時代となった。

 高句麗の壁画の尚武(武事を尊ぶ)や新羅の梵鐘などにも描かれた飛天像には楽観的で、大陸的なおおらかな気風がある。この豪快さと優しさを併せ持った感性こそ高句麗人の情緒、感情であり美意識なのだ。李朝の白磁や、生活用品の木工芸などには自然の調和から生まれた美意識の感性が、その芸術性を今に良く知らせているものだと思う。

 韓民族の暮らしに深く関わる伝統工芸には、その手仕事の中に民族固有の造形気質が最も良く反映されている。伝統工芸の技法は様式、材料、表現感覚においても、中国、日本の工芸とは異質なものである。韓国伝承工芸は男性のものは極めて質素、純朴な感覚で品位を感じさせる。女性や子供用品には色感と意匠が純情で愛らしさを感じる。韓国人の造形的な生活文化は、こうした伝承工芸を土台にして秩序が形づけられてきたものだ。

 高麗青磁の美しさは色と線の美であるが、高麗青磁の翡色は自ら民族の青丘と称した祖国の空の色で秀麗な美しさがある。朝鮮半島に生息する植物や鳥をモチーフにしたのびやかな図案は自然に対する思いが込められており、精神性の高い美であると思う。李朝の白磁の壺には、その大らかな姿と人の温もりや懐かしさが感じられ、その潤いは見る人を魅了し静けさの中に解放された自然美を感じる。

 古来より我が民族は白衣民族だと言われていた。湿度が低く、紫外線が強い秋の空は例えようもなく澄んで美しい韓国の風土に白は良く似合う。古代から白衣を聖なるものとし白磁もまた白の原初的なイメージの上に重なったものであると思われる。

 韓国は13世紀、マルコポーロの東方見聞録で高麗(コリア)、美しい山々の国と呼ばれるようになり、朝の静けさと鮮やかさの国と李王朝(1392〜1910)になって朝鮮と訳され、知られるようになった。

 山麗しく水清き我が故郷、韓国人は故郷の自然を讃えて、自然の加護の元に自然との共生を生活信条にした。古くからの風水信仰は一種の思想とまでなっているが、我が民族の祖先崇拝や祖霊供養の伝統性などをみると自然と人間との共生を祈り、自然そのものを崇拝していることがわかる。それは信仰されている韓国の名刹(寺)王宮や王都、民族歌舞や造形芸術などに良く表されている。またセットンチョゴリなどの五色は単なる晴れ着ではない。五行や五方の信仰に基づいた色である。五色によって四方八方の邪鬼や災禍から身を守ると信じられていた。五色で衣装を彩り生活の祈りの色、そして祭りごとの色としたものなのだと思う。白色は韓民族本来の民族色ではなく、多彩な色彩を好むのだということがよくわかる。



-民画について-

 民画は韓民族固有の絵画である。民画は韓民族の造形感覚と「素朴」な心の根が余すところなく表現されている。伝統的な韓国美術の特質、現代美術が持つ特徴として「自然さ」「無技巧の技巧」「民芸美」「大人のような子供(子供のような大人)」「浮遊するもの」といった性格がよく挙げられる。

 民族的気質や美意識は内容と形式、質料と形相など西洋の二元論的な芸術感と比べると韓民族の美術が持つ「素朴さ」は西欧の技術的な完結性や形式主義にはない感性といえる。

 李朝民画は数百年前既に現代絵画の新しい潮流をもって民衆の中で育った民衆芸術なのである。長い歴史を通じて身につけた韓民族の美意識と情感は生活哲学と美学的側面をもって、それを絵画という形で具現したのが民画なのである。名も無き画人達が自由奔放に、無限大の想像力を発揮したその表現力は我々を魅了するものだ。

 韓国の古い建物、寺院や城門などをよく見ると屋根の反りが均等でないものや、柱の太さ、建具の取り付けなど、一定でない微妙なものがあるが、これは技術の次元の問題ではない意識的な美に対する感性であると言われる。李朝の焼き物もこの感性が表されていることでわかるはずである。

 朝鮮の美術全般に言える事は雄々しく力強いこと、優雅で繊細であること、身構えず自然を受け入れる感性、そして人間的な温もりがあることだ。民衆の自由闊達で風雅な感性そのものが民画の中に本質的な美意識になって表されているように思う。



-アイデンティティーの問題について-

 韓国近代美術を理解するためにはアイデンティティーの問題について言及しなければならない。美術におけるアイデンティティーの問題は伝統的な規範に従う様式と、西欧的な様式に対処するという問題があった。韓国美術の特質は長い歴史を経て定められてきたもので、これを表現して伝統を継承しなければならないという主張が最も強力な伝統主義者の立場であった。

 これと異なり、伝統を過去の弊習を野蛮と捉えて、これを廃棄し西欧に追従して立ち遅れた状態から脱却しようという欧化主義や伝統廃棄論があった。1920年代後半になって対極に位置する二つの考えの折衷案的な立場に立って東西の美術を研究はするが、その根幹では朝鮮的な美術を志向し、朝鮮的、郷土的素材主義と当代の感性とを結合させることで時代的な美の感覚を失わない、伝統の現代的継承の形が取られていた。社会や国家のアイデンティティーと個人のアイデンティティーとは切り離すことの出来ないしがらみがあったからだと思う。

 今、我々が確認しているアイデンティティーという概念は虚構で価値のない理念であり、現在生き続けているものではなく、価値のない、生命を持たない過去の問題なのだと捉えている。韓国の近現代の美術文化が明瞭に説明されるアイデンティティーを有しているからではないからだ。

 良く韓国的なものを表すものとして韓紙、墨などの素材の特徴を言い、巫俗や民族伝承の説話、漢字やハングル、セットンチョゴリ、五方色など韓民族の生活を象徴する形式や題材についてよく論じられるが、それは多少強引で理に合わないものであると思う。アジアの漢字文化圏では共通したものであるからだ。



-韓国画について-

 アイデンティティーの問題にも関わる韓国画について「韓国的」「韓国性」の関心が高まっている。理由は国権喪失の時期を経て一時は精神的な主権すら失ったことで、なおざりにし、忘れ去っていった「我々のもの」「韓国的なもの」への関心と反省からである。

 伝統絵画の流れを見ると近代になってから、それまでの伝統的で既存の観念的な絵画から脱却して、西洋の画法に影響を受けた緻密な陰影法を用いた写実描写の人物像や「文気」が色濃く残る「南宋」の山水画を発展させ、独創性を生んできた。

 しかし伝統画の現代的変貌は師匠の作風を一方的に模倣する事から出発する伝統的な師弟の関係が崩壊して、現代になっては、それぞれの画家が異なった個性を自主的に自分の作風にしていることである。

 今や韓国画は伝統的技法や材料に基づかず西洋画との区分、境界線はないのに等しい。

 「真の韓国画は今この地の人間と事物、生に対する理解と愛情、さらに研ぎ澄まされた歴史意識と現実認識の幅と深さからももたらされる。また歴史意識を通じてのみ身につけることが出来、伝統意識は時代錯誤的な過去への回顧ではなく、いかなる変化にも新たな形象によって対応し得る作家の造形意志と造形能力、すなわち、作家の文化的形象力を前提とする。」「韓国的というものが有形の形ではなく、無形の観念のようなものだからだ。我々は『韓国的』であろうとして過去にのみ執着し、現在を否定することはない。なぜならば、今ここにまさしく韓国の現実があるからだ。例え我々の暮らしが国際化、都市化された状況の中にあるとしても、我々はやはり、韓国人である。今現在の意志と問題に回帰する時、最も我々らしい芸術を創造できるのだ。そしてそれをさらに大きな幅で把握するためには、より大きくて広い思考と視覚が必要とされる。」と張美鎮は述べている。韓国的な現実を、韓国的な精神と情緒を込めた絵画を韓国画であるという。

 「韓国画」も国民国家が揺らいでいくナショナリティやアイデンティティが複合的に交錯していた言葉としての意味合いを色濃く感じる。韓国画・洋画のいずれにも属さず現代美術でもない第三の道を模索、葛藤しているのが今の韓国画で、日本画も中国の国画も然りである。「韓国画」も東アジア的視野、グローバルな位置に立脚した視点に立って転位されていくのでないかと思う。21世紀は「韓国画」も歴史化され、懐かしんで見る文化になっていくのかも知れない。

 私が三十数年前に初めて韓国に行ったとき、韓国画のことを「東洋画」と言い、その前までは「朝鮮画」その昔は「書芸」と呼んでいた。七十年代になって政治社会的現実への批判意識が芽生え、5・18の光州抗争を通して芸術性の論争と芸術的、社会的価値と機能などについての問題意識が台頭し、これを契機に「韓国画」と意識的に呼ばれるようになったと思われる。

 我々の主体的な美術に対する意識が生じたことで九十年代に入ってからは伝統文化に対する関心が高まったきたのは最も我々らしい芸術を創造するためのステップである。



-近代油彩画について-

 韓国における近代油彩画の流れについて述べる。一般的に韓国の絵画史における「近代」とは中世の封建社会が崩れ始めた十九世紀半ばを「近代」の始まりと想定されている。

 過去、朝鮮王朝は西欧に固く門を閉じていた歴史がある。その結果、西欧中心の世界の文明史的な流れから脱落し結局、植民地化される不幸を味わったのだ。

 油絵具を使った西欧の油彩画が朝鮮半島に入ったのは、十九世紀末、ヒューバート・ボスのような来朝外国人によるものである。3・1運動をきっかけにして一九二二年からの「朝鮮美術展覧会」は韓国人の自発性を育むものでなかった。審査委員の大半が日本人であった「文展」「帝展」等の日本の官展は日本的感性の拡散を鼓舞するのみで植民地的教養を生むものとして作用しただけである。

 そうした視点から見ると、近代美術も政治、軍事的な従属と同じく、日本による根深い植民地性を表している。韓国近代美術は日本が媒介になった西欧との間接的な出会いが出発点になって従属していると言えるだろう。

 滅亡していく悲運の李朝の官僚であった高羲東(1886〜1965)が、黒田清輝が率いる東京美術学校(現東京芸大)で絵の勉強を始めたのが韓国最初の油彩画の出発点であるという事実は象徴的なことである。

 伝統的絵画を洋画と折衷し、新しい境地を開拓した高羲東以降解放に至るまでの三五年間、韓半島で展開された画風は、写実的な傾向、印象主義、表現主義、シュールレアリズム、印象絵画など大体において日本が西欧から受け入れた画風を段階的に追いかけることになった。韓国美術は日本の近代美術の束縛と植民地政策の枠という限界を抜け出すことが出来なかった。それは西欧を模倣した日本のものを更に模倣するという点で自己を見失ったものであったといえよう。

 日本的な感性を強制されたことによって、韓国美術界は解放後、それを植民地支配の残滓として精算しなければならないという終わりのない宿命を背負わされてきたのである。

 韓国の現代美術は、西欧という不可抗力的な新たな力の中心に対する自覚と、それに対応していく様相から、大きく二つの流れに分けることが出来る。一つは、水墨画、彩色画のような伝統絵画が、西欧からの衝撃による自己改革を通して時代性を獲得するもの。二つは油彩画のような西欧文化の新しい価値と力を受け入れ、それを内面化していく過程である。李仲變の現実の挫折から開いた愛。朴寿根の無心。金煥基の自然。劉永国の自由。張旭鎮の逍遙。李快大の憤怒などからそれぞれの個性と民族的な生を見ることが出来る。



-韓国美術の多彩な流れ-

 異なる人間、異なる文化に内在するイデオロギー、そして既存の文化の枠によって縛られていては何も変わらない。今、世界は大きく変動している。地球の環境破壊、人種・宗教の紛争と戦争は我々の生存を危うくしている。美術は人類に新しい哲学となり、問題意識を提示する役割を担うようになってきた。

 韓国の美術は多彩な展開をしてきた。とくに七十年代にはモノクローム派(もの派からの影響を受け韓国で派生した単色派)と呼ばれる絵画と八十年代の5・18民衆抗争を契機に社会運動と結びついた民衆美術の展開であった。

 注目すべきは海外に出て世界を舞台にしているアーティスト達の美に対する観点、視点に活路と希望があるように思う。アメリカで活躍している世界的なビデオアートの先駆者、白南準(1932〜)の作品には現に残存する韓民族が生きていた原体験、民族のシャーマニズム的な生の歴史、その記憶と民族的な歴史を表しているといわれる。

 日本の重要な現代美術の動向を主導した李禹煥(1936〜)はもの派の作家である。ものを使っているから象徴的にもの派と呼ぶが、その辺にあるものを使いながら、そのものの観念的な要素を取り外し、物質的にもずらして、もっと生き生きとした場をつくるところにもの派の仕事はある。

 朝鮮時代の真儒学的な合理主義と自然観を作業にしていると評されている。これらは韓国絵画が近代社会との出会いと葛藤の中から生まれたものだが、この二人の仕事を見ると、居住する生活世界で自己を明らかにしている。真のアイデンティティーをここに私は見る。

 1995年光復50周年を記念して東アジア圏では初めて、芸術の都光州に国際美術の祭典、ビエンナーレが創設された。主題は「境界を越えて」であった。政治、宗教、理念を超えてきた人類が一つになろうというものである。

 過去の目に見えない対立と葛藤を、芸術を通じて心の壁を取り除き手を結び会おうという、世界の人々の切実なる望みを託しての出帆である。光州ビエンナーレは光州の民主精神と芸術的伝統を基盤として芸術精神を尊重し、地球村時代、世界化の一環として東西洋平等な歴史創造と21世紀アジア文化の能動的な発芽のために、主導力を発揮しその責任を果たそうという意志の発露である。西洋化より世界化へ、画一性よりも多様な民族文化を尊重する姿勢は時代の流れを鋭敏に捉えていると言える。来秋第5回光州ビエンナーレが開催される。世界のアーティスト達のメッセージを真摯に受け止めたいと思う。



-故きを温ねて新しきを知る-

 高句麗、百済、新羅の三国時代には直接間接に日本の文化や芸術、そして宗教などに大きな影響を与えた。アジア最古の石塔が発見されたのは韓国である。その美は単純だが洗練されて簡潔である。また慶州石窟庵のレリーフ、石仏像はアジアの美術の中でも最も重要な彫刻である。

 これらは当時の朝鮮美術の明確な特質、つまり品位と壮麗さが合わさったアイデアの多様さと簡潔さで、抑えられた様式の表現であり、ギリシャの古典彫刻のみに見受けられる比類無きものである。青磁の高貴な線、多様で変化のある様式、装飾に対する繊細さ。朝鮮の焼き物が持つ品位のある色調は世界の名声を得た美術の代表の一つであろう。

 歴史上、朝鮮は世界から孤立したことや植民地化されたこと、同族間の戦争のために国家自体は言うまでもなく思想や芸術一般を高度な文化文明の地位から落ちてしまった苦さを味わった。そして年毎に民族的気質や個性が失われていく中で古代朝鮮芸術が残してくれたものは、朝鮮独自の特質があり今でもその美しさを保ってはいるが、栄光、誇り、それ自体は消え去ってしまった過去の名残に過ぎないとも言える。心に銘じておかねばならないだろう。

 長年の伝統を保持することが一番価値があり、理想や思想なく新奇を追い求めることは衰弱の始まりだという考え方が芸術的崩壊を持ち込んだという反省に我々は立たされている。

 洗練された審美眼と芸術的才能に恵まれた朝鮮民族が、これから上向きになる可能性を秘めていることを自覚することが言い換えれば温故知新(故きを温ねて新しきを知る)新しい韓国の美が創造されるものであると確信するものである。

 我々の民族的美感とは民族的な感受性、民族固有の情緒感情に根ざして生まれる美に対する感性こそ我々の民族文化の形であると思う。美(芸術)は本来開かれた世界のものであり、これからも世界、人類のために永遠に創造されてゆくものであろう。

韓国文化院国際交流員研修会講演(2003.11.28)

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