◇わらび座とわたし◇
わらび座は一九五一年、戦後間もない焼野原の東京で、活動を開始した。朝鮮戦争の勃発を契機に、二度と軍備を持たないはずの日本で再軍備が進められ、戦争反対と民族独立の歌声を上げたのがわらび座の出発点であったという。日雇い労働者の作業現場を巡回する移動劇団の中心演目は許南麒の詩を元にした「朝鮮冬物語」であった。アリランやトラジなどの歌・踊りに多くの在日同胞達が声援をかけ拍手を惜しまなかったという。 わらび座が私の故郷である秋田県田沢湖町に移り定住して五十数年になる。わらび座との御縁は生保内小学校六年の時からである。板の間の体育館で正座して観たのが田沢湖に本拠を構えたばかりのわらび座の移動公演であった。当時芸能に触れる機会が少なかったので、お盆の時など生保内神社の神楽殿で舞うわらび座の公演が楽しみの一つであった。私が文化の香りを初めて身につけたのがわらび座との出会いであったと言える。 わらび座と私が再び接点を持ったのは一九九〇年九月二十三日「朝鮮人無縁仏慰霊碑」の除幕式の際、わらび座民俗芸術研究員の茶谷十六氏と親交を持ったことからである。 一九九三年三月二十六日、私は早春のわらび座を訪ねた。四十年の月日を経たわらび座は、二五〇名の座員を擁する民族歌舞団として内外で芸術、文化活動を展開していた。約一〇ヘクタールの広大な敷地の中に、劇場、稽古場、制作場(大道具・小道具・衣装)、民俗芸術研究所、木工工芸館、化石博物館などが建ち並び、座員の住宅、食堂、子供達を育てる保育所、学童寮などがあり、更には三五〇名収容のホテルと温泉「ゆぽぽ」を経営している。 一九七四年に、全国七〇〇万人の人々から募金によって建てられたという「わらび劇場」は、間口二一メートル、奥行二〇メートル、の巨大なステージを持ち、八〇名の演奏者を収容出来るオーケストラピット、上手、下手に合唱隊ステージ、さらに二本の花道が備わっている。新しい歌舞劇の創造を目指すというわらび座の芸術精神と志を具現する城といえる。 わらび座のロビーの一角に純白の大理石に刻まれた、創立者原太郎氏の揮毫が掲げられている。 「山は焼けてもわらびは死なぬ」 その簡潔明瞭な言葉の中に、わらび座の芸術精神と五〇数年の歴史の全体が象徴されているように思われる。 一九九五年、私は父母の故郷韓国光州市で開かれた東洋で初めての国際美術展「光州ビエンナーレ」の祝祭行事にわらび座を招待した。戦後初めて、海峡を越え日本の伝統的な踊りや太鼓が響いたのである。今まで生きてきた人生での数々の出来事や節目が私にはあったが、韓国でわらび座公演の実現とその圧倒的成功は、最も輝かしい一頁として大きな比重を占める誇りとなっている。 わらび座はワールドカップ共催を祝し、国民交流年を記念して朝鮮通信使を題材としたミュージカル「つばめ」(韓国名チェビ)をわらび座劇場で101回公演(二〇〇二年八月二十五日〜二〇〇三年一月二十六日まで)をした。 明治以来日本は江戸時代を「鎖国」の時代と教育したが江戸時代、朝鮮とは唯一国交があった。日本に派遣された文化使節団朝鮮通信使による「通信」即ち外交、そして貿易があった史実が近年になって認識を新たにし韓日関係が見直されるようになった。通信使は儒学や韓詩文、山水画、人物画、即興画、医学の知識など学問的見識の高い文化を伝播し日本文化発展に寄与した。当時、日本民衆は使節の一行から多くのものを学び異文化体験を通して野蛮な国、朝鮮人蔑視の偏見を正していった。朝鮮通信使は文化交流と相互認識を深めた歴史的な遺産である。 「つばめ・チェビ」は吉鳥で一年を通して共に行動する番の鳥である。春には前年の古巣に帰り、国と国を懸け自由に行き交う韓日で愛されている縁起を担ぐ渡り鳥である。脚本・作詞・演出のジェームズ三木は「四百年前の韓国と日本を舞台とした『誠信の交わり』とは何か。」を描きたいのだという。そして「豊臣秀吉によって国土を踏みにじられた朝鮮国は秀吉の死後に天下を掌握した徳川家康の国交回復の要請に応えて朝鮮通信使を日本国に派遣した。「文」を以て「武」に酬いた朝鮮通信使の心を我が心とし『文』を以て『武』をしのぎたい」とメッセージした。 「誠信の交わり」とは雨森芳洲(朝鮮使節の外交接待役として対馬藩に仕えた儒学者)の理念である。先ず相手を知ること、そしてお互いに欺かず争わず真実を以て交わる誠心の人であった。お互いの文化を尊重、理解することに友好の基盤とした日本の国際見識の先駆者である。 「朝鮮通信使」の壮麗な絵図をバックに幕が開く。朝鮮国から友好の証として朝鮮通信使がやって来ると名主の半兵衛の歌唱から物語は始まる。通信使の一人、李慶植は饗応の席で思いがけなく10年前に水死したはずの妻(春燕)に再開するが春燕はお燕と呼ばれ既に彦根藩の武士、水島善蔵との間に子を成す身となっていた。慶植と善蔵、二つの愛と二つの国の狭間でお燕は苦悩する。海を越え愛は二つの国を架けるというあらすじである。この公演は二〇〇三年、わらび座劇場公演終了後、日本各地を巡回し、二〇〇四年五月にはハングルで韓国公演も計画している。 わらび座「つばめ・チェビ」公演は長い韓日友好の歴史を次世代に伝える現代の通信使となることであろう。韓日友好親善関係が飛躍的に進展し両国の相互理解が増進する公演となるよう声援を贈りたい。 河正雄著「望郷・二つの祖国」成甲書房(1993.10.5)及び東洋経済日報(2002.7.12) |