◇陳昌鉉先生の故郷を訪ねて◇

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陳昌鉉先生の故郷を訪ねて

憧れの木曽福島の町を訪問(2005.8.25〜28)致しました。
第31回木曽音楽祭のご案内を陳昌鉉先生から頂いたのがご縁です。実は20数年前から木曽福島が陳先生の第2の故郷と聞いて、ぜひ訪れてみたいと思っていました。
中仙道の宿場町のこと、木曽義仲の故郷、島崎藤村の生誕地、歴史と文化に溢れる土地に憧れを抱いていました。

三大美林の1つに数えられる私の故郷、秋田の杉林も自慢でありますが、木曽の檜林も見事なものでありました。八幡平、秋田駒も秀麗ですが御岳山、木曽駒の神々しい美しさは言葉にしがたいもの感じ、自然に両手を合わせました。

生保内節も秋田の情緒を調べておりますが「木曽のナァー、なかのりさん」と歌い始める木曽節の調べは余りにも有名で懐かしいものでありました。
興禅寺の石碑に山頭火の句「たまたまに まいりし木曽は 花まつり」に触発されて、しばし詩人の気分に浸りました。


代官の 清水をのみし 蝉時雨(山村代官屋敷の門前にて)
あきのいろ 恋の調べか 虫の声(陳先生縁りの初恋の小径にて)
また長福寺山門前の掲示板にあった「ぼうふらや 蚊になるまでの 浮きしずみ」を読んで、木曽福島での陳先生の境涯から

"讃「天上(てん)の弦 故郷ありて 人とあり 艱難越えた 山のかずかず」"
と無常の境地を讃えました。

木曽川の中央橋前にある文化ギャラリーに陳先生の業績を顕彰する展示物があります。町の歴史と共にあって、町の人々に愛され尊敬されている在日一世の姿を見ることにより生まれた短歌です。

4日間にわたる音楽祭でのストラディヴァリウス(陳先生が目標とされた楽器作りの究極の逸品)の調べは陳先生と木曽福島の町を誇らかに祝福しているように思えました。

"小さな町の小さな音楽祭"と銘打たれていましたが、どうしてどうして小さいどころか日本を代表する音楽祭と銘打つべきものではないかと思いました。

馬籠宿の藤村の記念館で見つけた藤村の言葉
「血につながる、心につながる、ことばにつながる、ふるさとがある」
は陳先生と木曽福島の町が因縁薄からぬものであることを教えてくれるようでした。
私の境涯や、在日の同胞の全てにも繋がる言葉でふるさとのありがたさをしみじみと感じた旅でありました。


2005.9.3 河正雄

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